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敏感さ。そして霊的な印象づけ。
敏感さとサイキック的な触覚はエーテル的な性質のものであり、一般的に表現されており、
いずれは霊的な印象づけに対する敏感さに席を譲らなければならない。
この霊的な印象づけに対する敏感さによって人間は、キリストのように、
同胞の中にあるものをありのままに「知り」、
同胞の状態とすべての形態内の生命の状態に気づくことができるようになる。
最近、とても微笑ましい光景を目にしました。
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周りの環境への敏感さを持っている子を
同じような経験をもつ同い年の女の子が
守ってあげている姿でした。
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本当はもうちょっと書きたいことあるのだけど、
まだ言葉にならないので…
聴覚は相対的な方向性という概念を与え、
スキームにおける自らの位置を見極め、自らをそこに位置づけることを可能にする。
触覚は相対的な数量という概念を与え、
自分自身の外側にある他の肉体との関係における自らの相対的な価値を見極めることを可能にする。
視覚は釣り合いという概念を与え、自らの動きを他の人々の動きに合わせることを可能にする。
味覚は価値という概念を与え、自分にとって最良と思えるものを決定することを可能にする。
嗅覚は生来備わっている特質という概念を与え、自分自身と同じ特質つまり本質を備えていると思えるものを発見することを可能にする。
これらの定義すべてにおいて、
感覚の目的全体が非自己を明らかにすること、したがって自己がリアリティーとリアリティーではないものを区別できるようにすることであるということを心に留めておく必要がある。
そこにある神聖さに気づけますように。
三寒四温が続きますが、春はすぐそこに。
くれぐれも御身体お大事になさって下さい。
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