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大長編ドラえもん 『のび太と夢幻三剣士』はバッドエンドなのか?

最近、ドラえもんを読み直したり視聴する機会があったのだが、諸々調べているとどうも大長編ドラえもんのうちの一作、『のび太と夢幻三剣士』の映画はバッドエンドなのでは? という話を見かけた。

私はビデオ(VHS)で映画版の本作を鑑賞した記憶があるのだが、うろ覚えでその肝心のラストがあまり記憶に残っていなかったため、折角なので映画版をNetflixで、漫画の方を紙媒体の単行本で購入し、改めて鑑賞し、原作漫画はおそらく初めて読み終えた。

正直、これはバッドエンドではないのではないだろうか? むしろ普通にハッピーエンドでは? というのが私の解釈である。
以下に『のび太と夢幻三剣士』に対して私が感じ、解釈した内容を書き解説していこうと思う。

1.バッドエンド説に対する所感。

まず、バッドエンド説を上げている人たちが言及しているのは映画版の山(もしくは丘)のシーンなので、そのシーンのない漫画版は参考程度にとどめるものとする。
主な解釈の中で、主軸となっているであろう大きな解釈を二つ箇条書きにしてみる。

・二十二世紀デパートが回収に来た際、回収者がかくしボタンを押していないのでまだ起きた世界が夢である。よってのび太達は夢の世界に居続けるのだ。
・注意書きに書いてあった『現実世界に影響することもあります』から、長く夢を見たせいで現実が夢に侵食されているのではないか。

この二つの解釈対して私が感じたのは、『そんなことはなくない?』である。理由については以下に一つずつ書いていく。

2.かくしボタンについて

・一つ目の『回収者がかくしボタンを押し忘れているから、まだ夢の中のままである』に関してはその手前の認識が誤っているのではないかと思う。
まず、作中でドラえもんは最大二回『かくしボタン』を押している。
漫画版では四次元ポケットを置いていく際の一回だけ。しかも、その後現実と認識している夢幻三剣士の夢を見ている最中、夢という認識になった現実でのび太のパパによってかくしボタンは解除されている。つまり元に戻った状態なのだ。よって漫画版は問題なし。
しかし、問題の映画版ではのび太のパパの代わりにママがかくしボタンを押し、そのあとさらにユミルメに再び行く時にドラえもんが押しているのである。

こちらに関しては問題だ。かくしボタンが夢と現実を逆転させてしまうなら、たしかに誰かがかくしボタンをもう一度押さなければ夢が現実、現実の世界が夢の扱いのままだ。

ここで考えたいのは、そもそもかくしボタンの機能そのものについてだろう。映画版のドラえもんの説明によると、『このボタンを押すと夢と現実とが入れ代わる つまり 今ここにこうしていることが夢になる』
これだけ聞くと、なるほど確かに。現実と夢そのものが入れ替わるようにも捉えられる。実際、かくしボタンを押した後はのび太やジャイアン、スネ夫の認識は夢が現実の様な扱いであり、現実が元の夢の様な扱いになっているように感じる。
しかし、この認識では作中と矛盾が生じていることに気がつくだろうか?
そう、のび太やジャイアン、スネ夫のママに起きなさいと怒られたという点である。この描写や発言から、3人のママにはかくしボタンの影響が出ていないと読み取れるのは自然ではないだろうか?
つまり、夢と現実の役割がそっくりそのまま入れ替わったとは解釈がしにくいのだ。
もし、夢と現実の役割がまるまる変わってしまっていたのなら、その点に3人のママが違和感を持たないのは不自然であるとしか言えないように思う。
つまり、ドラえもんの説明に対する解釈は別にあるのではないかと思う。ドラえもんの発言の本来の意味は、『夢と現実(の認識)が入れ代わる』ということではないだろうか。そう考えるなら、矛盾も解消されるように思える。
かくしボタンを押した後、気ままに夢見る機の影響を受けるものにのみ作用する機能なのではないだろうか。
それならママに起こされて寝ぼけている(本人にとっては眠りに落ちかけている)のび太にママが大きく見えていても不自然さはないように思う。なぜならのび太の認識はかくしボタンによって入れ代わっているからであり、ママの認識は普通のままであるからだ。
このような解釈によって、夢と現実がかくしボタンによって混ざっている可能性は除かれる。
「でも、そんなこと言っても夢の中にい続けてることには変わらないんじゃない? ならバッドエンドじゃん!」
そう思う人もいるかもしれないが、私はそもそも夢を見続けている=バッドエンドと決めつけるのは早計ではないかと思う。その理由に関しては、二つ目の解釈に対する所感を書いた後に書く私の解釈で書こうと思う。

3.夢幻三剣士の注意書きの解釈について

夢幻三剣士の注意書きを読み上げたドラえもんは映画版ではこのように発言している。
『この夢は強いパワーを持っているので現実世界に影響することもあります』
『このカセットはこれまでの夢カセットと違い第二の現実を創造するため実感を盛り上げるさま……(のび太によって遮られてしまう)』
これに対しての解釈も、かくしボタンの説明と同じく、複数の解釈ができるように思う。
一つは、『夢幻三剣士の中で"起きたこと"が現実世界に"直接"影響を及ぼす』
もう一つは『夢幻三剣士で"経験したこと"が現実世界に"間接的に"影響を及ぼす』
この二つのうち、後者の方が注意書きの内容として合っているように感じた。
つまり、『夢幻三剣士を遊ぶと現実の地形がユミルメのように変わったり、妖霊の軍勢が現実世界にやってくる』という意味ではなく、『夢幻三剣士は第二の現実と言っていいほどリアリティのある夢を見ることになるため、その中で経験したことが現実での使用者に影響を与えたり、現実との区別がつきにくいかもしれない』といった意味での注意書きなのではないか、と考える。
つまり、注意書きがそのような意味であったなら、先ほどの『夢と現実が混ざり合ってしまっている』という根拠にはならなくなる。

4.私の解釈 『最後まで夢幻三剣士での正常な演出である』説

この小見出しに書いてある説が、私の解釈である。
より詳しく書くなら、『オドロームを倒した後の回収者は実際にはまだ来ておらず、目が覚めたと思っているのも夢幻三剣士が気ままに夢見る機を通して見せている夢』という解釈だ。以下にその説に至った理由や解釈を箇条書きにしていく。

・かくしボタンが押されているままなのだとすれば、目が覚めた時に『目が覚めた』と感じるのはおかしい。
・かくしボタンの機能が切れていたとしても、今までの解釈上現実に物理的な影響が出るのはおかしい。
・現実で『置いていく』と四次元ポケットを外したまま夢幻三剣士を夢見ている最中にママの中断により目が覚めて、夜になりそのままユミルメに向かったドラえもんが起きた際にポケットをつけているのはおかしい。(夢の中でのことは現実に直接影響しないという解釈のため、夢見る前につけていなかった現実のポケットは外したあとに誰かが付け直してあげていない限りお腹についていてはおかしいため)
・トリホーもオドロームも、妖精シルクもカセット内のプログラムで動いており、自我はないのではないか。
・映画のエンディング自体が、夢幻三剣士のエンディング演出としても機能しているのではないか。
・そのためエンディングの映像内で夢幻三剣士のメインキャラとドラえもんたちの集合絵から始まり、最後は学校のある丘の手前に夢幻三剣士上の服装となった5人がいるのではないか。
・夢幻三剣士が見慣れた光景に近い中から始まるように終わりも見慣れた光景に近い中で終わるのではないか。

このような解釈である。順に詳しく説明する。

・4-1 かくしボタンが押されているままなのだとすれば、目が覚めた時に『目が覚めた』と感じるのはおかしい。

小見出しの通り。
かくしボタンが機能している時は現実世界を夢と認識しているため、機能したまま目が覚めたなら起きたと感じるのは矛盾が生じていることになる。

4-2 現実で『置いていく』と四次元ポケットを外したまま夢幻三剣士を夢見ている最中にママの中断により目が覚めて、夜になりそのままユミルメに向かったドラえもんが起きた際にポケットをつけているのはおかしい。

これもそのまま。
ドラえもんは夢幻三剣士の夢を見るにあたって、二度目に見に行く際に(のび太にとっては3回目)かくしボタンを押す前に四次元ポケットを置いていっている。
実際、この後の現実世界でのドラえもんは気ままに夢見る機の回収者が登場するシーンまでは、ポケットは着いていないのだ。
つまり、勝手にポケットがついたり第三者がつかない限りあり得ないのだ。
しかも、この描写が作画ミスである可能性はかなり低い。なぜならこの四次元ポケットの有無に関する描写は漫画と共通しているからだ。

4-3 トリホーもオドロームも、妖精シルクもカセット内のプログラムで動いており、自我はないのではないか。

これは冒頭の現実世界にトリホーが現れることに関しての解釈も含む。
冒頭のトリホーが夢幻三剣士を買う前の現実世界でののび太に接触してきたのは、夢幻三剣士をドラえもんがのび太に買ってあげた時間より後にメーカー側がタイムマシンなどで送り込んだ演出の一つであり、シルクのように、カセットや気ままに夢見る機から出てきてはいるものの、プログラムされた行動を自身で考えて動いているとトリホーが錯覚しているだけである。という解釈だ。
そのためトリホーは物理的に龍を倒せなさそうな『立派な』人を主人公にするのではなく、精神的に倒せなさそうな人間を選び、のび太にカセットを購入するような行動も半分運任せのように見えるのだと解釈した。
シルクも同じく、夢幻三剣士を夢に見ようとしなくなった購入者に呼びかけるのは今でいうゲームアプリからのキャラクターの台詞として送られてくる通知のようなものではないだろうか。
オドロームも同様であると考えられる。なのでのび太の前に現れた一度目の時のようにのび太にトドメを刺す前に仲間を連れて来させる舐めプもしたのだと解釈した。

4-4 映画のエンディング自体が、夢幻三剣士のエンディング演出としても機能しているのではないか。

この『夢幻三剣士』は特製の夢"カセット"であり、物理的に存在する物品であるため、ゲームやアニメのようにスタッフロールのあるエンディングがあっても不思議ではない。

4-5 そのためエンディングの映像内で夢幻三剣士のメインキャラとドラえもんたちの集合絵から始まり、最後は学校のある丘の手前に夢幻三剣士上の服装となった5人がいるのではないか。

そのまま。
エンディングの終わりが夢幻三剣士の夢の中で身につけていた衣装や装備になっているのは、二つの意味でのエンディングだからではないかという考え方。

4-6 夢幻三剣士が見慣れた光景に近い中から始まるように終わりも見慣れた光景に近い中で終わるのではないか。

これも予想に過ぎないが、現実から夢への差を減らすためにグラデーションになっていたように、夢が終わってから現実へ戻る際もグラデーションになっているのでは、という考え。

5.まとめ

以上の解釈を踏まえた上で、ストーリーを簡潔にまとめる。
ドラえもん、のび太にせがまれ夢幻三剣士を買う。

のび太、夢幻三剣士を夢で見る。

ドラえもんとアンテナをつけたスネ夫、ジャイアン、しずちゃんと一緒に夢幻三剣士を夢見る

ドラえもん、反省して四次元ポケットを置いていく。ついでにかくしボタンを押す。(かくしボタン機能開始)

のび太のママ、かくしボタンを押す。(かくしボタン機能停止)
この時点で起きた際、ドラえもんはしっかりとポケットをつけていない。この際、ドラえもんが電話でひきとりを頼んだ時2〜3日かかると言われる。

夢電波を受信するアンテナをジャイアン、スネ夫は外すもしずちゃんは外さず。

シルクの声かけにより再び夢幻三剣士の夢をみる。この時、夢をみる直前のかくしボタンを押すシーンまでドラえもんにポケットはついていない。(かくしボタン機能開始)
アンテナを外していないしずちゃんも再び夢幻三剣士の夢の中へ。

オドローム撃破。

結婚式直前でトリホーの様な笑い声のやつが来て気ままに夢見る機を回収する。ドラえもんになぜがポケットがついている(これは夢幻三剣士の見せている夢という解釈)

その後高い山の上に立っている学校へ向かうのび太としずちゃんのシーンの後、エンディング入り。(これは映画自体と夢カセットの夢幻三剣士、両方のエンディングとして解釈する)

最後に山の上に立っている学校を背景にみんなが夢幻三剣士の中での衣装を着て手を振って終わり。

(これより想像)
その後目が覚めたのび太あるいはリモコンを持っているドラえもんがかくしボタンを押して機能を停止。現実の日常へ戻る。

(時系列不明)
夢幻三剣士の販売元か開発会社が夢幻三剣士に登場するトリホーを夢カセットを買う前ののび太のところへ行くようプログラム。

というような感じである。

以上。ドラえもんにわかによる個人的解釈でした。

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