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『サルカール 1票の革命』鑑賞に役立つ予備知識

インディアンムービーウィーク2019(2019年9月開催)で上映した『サルカール 1票の革命(原題:Sarkar)』のトリヴィアについて、Twitterに掲載したものを再掲します。

IMW上映作品はどれもまっさらな状態で観ていただいて充分に楽しめるものです。ただし『サルカール 1票の革命』のように、小ネタが多く仕込まれている作品は、それを知っておくとより楽しめるかもしれません。以下に幾つかをご紹介します。決定的なネタバレはありません。
(初出:2019年9月/ 2021年10月加筆)

『サルカール 1票の革命』の邦題の副題は、テーマソングともいえる「Oruviral Puratchi(直訳:指1本の革命)」から。作品未見の方は、ソングビデオではなく、この歌詞動画での予習をお勧めします。歌唱は、人口13億の国でスタジアムを揺るがす音楽家のA・R・ラフマーンです。

[補足]

▶︎ Dravida Munnetra Kazhagam; DMK(ドラヴィダ進歩連盟)
タミルナードゥ州には英国統治下時代から「ドラヴィダ運動」と呼ばれる反バラモン・反北インド・タミル至上主義的な政治運動が存在した。その運動を通じて地域政党が生まれ、いまも大きな勢力を保っている。1944年にドラヴィダ連盟(DK)が創設され、1949年に同党から分離して、映画脚本家C・N・アンナードゥライ(1909-1969)がDMKを創設した。アンナードゥライの死後、映画脚本家から政治家に転じたカルナーニディ(1924-2018)が党首を務めた。彼の死後、三男のM・K・スターリン(1953-)が後を継ぎ、DMK党首に就任した。

▶︎ All India Anna Dravida Munnetra Kazhagam; AIADMK(全インド アンナ・ドラヴィダ進歩連盟)
ドラヴィダ進歩連盟(DMK)の創設者アンナードゥライの死後、「MGR」の愛称で知られた人気俳優、M・G・ラーマチャンドラン(1917-1987)が、DMKから離党し、1972年に立ち上げた政党(その当時の名称はADMK)。多くの作品でMGRと共演した女優ジャヤラリター(1948-2016)は1982年に入党し、1984年に上院議員に初当選。1987年のMGRの死後、後継者を巡り混乱が起こるが、ジャヤラリターが党内抗争を制して党首となる。1991年の州選挙では会議派と組んだAIADMKが選挙で勝利を収め、ジャヤラリターが州首相に就いた。ジャヤラリターは長年党首を務めたが、1996年に出所不明の巨額資産保有が摘発され、2014年の裁判で懲役4年と制裁金を課す判決が下り、州首相を失職。2015年の保釈後に州首相に復帰し、2016年の死没直前まで務めた。現在の党首はE・K・パラニサーミ。

A・R・ムルガダース監督は、タミルナードゥ州で2011年から2021年5月までの10年間与党だったAIADMKへの厳しい批判者として、作品中にさまざまな形でメッセージを込めることで知られている。

【参考資料】
10億人の民主主義」(広瀬 崇子編著/ 御茶の水書房)/ 南アジアを知る事典(辛島昇ほか監修/ 平凡社)/ Business Standard/ OneIndia/ Jayalalithaa wealth case: timeline of events (The Hindu/ SEPTEMBER 27, 2014)/ Jayalalithaa: a political career with sharp rises and steep falls (The Hindu/ DECEMBER 06, 2016) DMK chief M Karunanidhi's family tree (India Today/ 2013)

▶︎  2017年のジャリカットゥ運動をまとめたWikipediaはこちら

▼ジャリカットゥとの関わりが深いタミル映画10作品を紹介する記事はこちら。

[更新履歴] 2021.10.2 政党部分を加筆し、公開。



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