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『グレート・インディアン・キッチン』作品トリヴィア/ インディアンムービーウィーク2021

2021年1月、コロナ禍のさなかインドで配信公開された『グレート・インディアン・キッチン』。作品のサブテーマとなっている「シャバリマラ寺院への女性参拝問題」を中心に、作品のトリヴィアを紹介します。結末には触れていません。

6月16日追記:映倫判定が「G」に決まりましたので、修正しました。

[あらすじ]

ケーララ州北部のカリカットの町で、高位カーストの男女がお見合いで結婚する。夫は由緒ある家柄の出で、伝統的な邸宅に暮らしている。中東育ちでモダンな生活様式に馴染んだ妻は、夫とその両親とが同居する婚家に入るが、台所と寝室で男たちに奉仕するだけの生活に疑問を持ち始める。教育を受けた若い女性が、家父長制とミソジニー(女性嫌悪)に直面して味わうフラストレーションをドキュメンタリー的タッチで描く。同時に、2018〜19年に最高潮だった「シャバリマラ寺院への女性参拝問題」※もサブテーマとして現れ、伝統的ヒンドゥー社会での「穢れ」観にもメスが入る。公開後、多くの議論が巻き起こった話題作。

※同寺院は伝統的に女人禁制(初潮から閉経までの間の、子供を産める状態の女性の入山禁止)を敷いていたが、女性の法曹関係者による訴えが2018年に最高裁で結審し、女性参拝者の排除を違憲とした。

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[トリヴィア]

◼️『グレート・インディアン・キッチン』は2021年1月公開のマラヤーラム語映画。舞台となるのは『ウスタード・ホテル』(12)、『ウイルス』(19)に続き、ケーララ州第三の都市であるカリカット(コーリコード)。テーマがハッキリしたメッセージ作品で、家父長制とミソジニー(女性嫌悪)が、中産階級の教育のある人々の間にいかにはびこっているかを静かな画面の中で告発する。

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◼️コロナ禍の中にあった2021年1月の封切りは、最初からオンライン配信と決まっていたが、作中で「シャバリマラ寺院問題」(後述)が言及されていたため、大手の配信会社が二の足を踏み、neestreamという新興会社による配信となった。しかしその後、作品が大好評となったため、大手のサービスも遅れて配信を開始するという経緯があった。

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◼️舞台は由緒あるナーヤルの家庭。ナーヤル(俗にナイルとも)はケーララ州で有力な士族・地主カースト。州内の各地で過去に存在した王家もほとんどがナーヤル・カーストだった。現在でもナーヤルの文化はケーララの代表のように扱われることがある。政界や財界、それに文壇や映画界でも、ナーヤル出身者は、独占状態にはないものの、かなりの存在感を示している。

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◼️ナーヤル・カーストは20世紀前半まで母系制の家族制度を保持していた。「家」は母から娘に受け継がれ、男性はよその家庭に妻問い婚で通うというモデルである。女性を当主として男女の子供やさらにその子供たちが住まう「家」は巨大化し、タラワードと呼ばれる豪邸は成員全体の資産として保有された。本作中に登場する屋敷も、そうしたタラワードのひとつ。

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◼️女性を当主としながらも、タラワード内の最年長男性が家長として実際の家族経営にあたるなど、「母系」であっても「母権」とはいえない点も多かったものの、ナーヤルの女性の地位は相対的に高く、他の地域で多く見られた女子嬰児の間引きもなかった。ナーヤルの家庭では女児の誕生は喜ぶべきことだったのだ。しかしこの制度は、英国がもたらし独立インドが引き継いだ「近代化」の流れの中で解体し、現在のナーヤル・カーストは大部分が男系の核家族として暮らすようになっている。

▼(参考資料)0-1歳児の性別割合を示す地図。最も差が少ないのは、ケーララ州、アンダマン・ニコバル諸島、ミゾラム州の3州。2011年インド国勢調査に基づく。

◼️男系に切り替わったナーヤルの家庭は、栄光の過去への矜持を持ちながらも、男女間の役割分担に関しては急速に保守化した。過去に映画祭で上映されたことがあるアドゥール・ゴーパーラクリシュナン監督作『ねずみとり』(Elippathayam, 1981)は、零落し使用人もいなくなった大きなタラワードで無為に暮らすナーヤルの男性が、妹に多大な犠牲を強いながら伝統的生活様式に固執する様を批判的に描いた名作。『グレート・インディアン・キッチン』は、『ねずみとり』からちょうど40年後の現在、何が変わり何が変わらないかをくっきりと示すものとなっている。

◼️上に書いたようにナーヤル・カーストの過去と現在はかなりコントラストのあるものとなっているが、本作が炙り出す家父長制とミソジニーはナーヤルだけのものではない。普遍的なミソジニーの象徴として特に焦点があてられたのが、女性の生理を穢れとみなす伝統的な価値観。そこに数年来ホットな話題となっている「シャバリマラ寺院の女性参拝者締め出し」問題が重なる。

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参考資料「インド・ケーララの結婚 -- 結婚慣習の変化と現在 (特集 途上国の出会いと結婚)」/アジ研ワールド・トレンド2014年7月号 小林 磨理恵)

◼️ケーララ州南部の西ガーツ山中にあるシャバリマラ・アイヤッパン寺院はインド全域から参拝者が訪れる名刹。「アイヤッパン神よ 救いたまえ」と詠じながら練り歩く黒衣の巡礼集団は『女神たちよ』の中でもちらりと登場した。また、マラヤーラム映画をはじめとしたインド映画ではアイヤッパン神にまつわる神話は何度か映画化もされている。

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▼参考資料「南インド・ヒンドゥー寺院にみられる女性観の構築 : シャバリマラ寺院とアーディパラーシャクティ寺院の事例より
(民族學研究1997 年 62 巻 2 号 著者:古賀 万由里)

◼️シャバリマラ・アイヤッパン寺院は、ヒンドゥー以外のあらゆる他宗教の信徒にも門戸を開く一方、女性(初潮から閉経までの、子供を産める状態にある女性。便宜的に10~50歳と表現される)の参拝者の入構を禁じるという習わしで議論の的となってきた。その禁制の理由には諸説あるが、もっとも「合理的」な説明は、41日かかる巡礼の最中に女性は生理になることを避けられないからというもの。

▼参考資料 Entry of women to Sabarimala (Wikipedia)
▼参考資料 Sabarimala (Kerala Tourism)

◼️しかしこの「伝統」には議論も多い。禁制が法的に確認されたのは1991年のケーララ高等裁判所判決によってだった。それ以前にはちらほらと女性の入域の記録が残る。また91年以降にも、女性が禁を破って参拝したことを自ら語る事例が何度かあり、そのたびにスキャンダルとなってきた。

▼関連記事 FACT CHECK: Who are the petitioners who fought for women's entry into Sabarimala? (Times of India 2019.07.09)

◼️この禁制が憲法の保証する「両性の平等」や「信教の自由」に反するものだとして、女性の法曹家のグループがインド共和国最高裁判所に訴えを行ったのが2006年。原告の訴えを支持して、シャバリマラの禁制を違憲であるとした判決が出たのが2018年9月のこと。

▼関連記事 Sabarimala: Ban on women fails four key tests of constitutional morality (Sanjay Hegde & Pranjal Kishore/Business Standard/ October 31, 2018)

◼️この判決を受けてシャバリマラ寺院に10~50歳の女性による寺院入構の試みが多く起きたが、ヒンドゥー原理主義勢力による妨害によって不成功に終わった。また最高裁判決に反対する人々(女性も含む)による示威行動も盛んになり、特に2019年1月に参拝に成功する女性が出たことにより、抗議は時に暴動に発展するようになった。

▼関連記事 Women visited this sacred temple. Then violent protests broke out. Why?/ BY PRITI SALIAN/ National Geographic JANUARY 9, 2019)

◼️問題の普遍性を訴えるためなのか、本作の主要登場人物には名前がない。その中で唯一名前で呼びかけられているのがウシャという通いの家政婦の女性。このウシャは、ケーララ州のダリト(不可触民)の代表的なコミュニティのひとつであるパライヤの出身。

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▼関連記事 Her Visit to a Men-Only Temple Went Smoothly. Then the Riots Started/ By Kai Schultz/ New York Times/Jan. 18, 2019)

◼️父権的な価値観の下で、1カ月のうちの生理の数日間を不浄と見なされるヒロインと、存在自体が不浄であるとされてきたダリト女性との間の意外性を含んだ関係は、本作の持つ深みのひとつ。ウシャが劇中で謳う「ひと掴みの秘密」「その娘の美しさ」の歌詞は、ケーララのダリトの方言の一つであるプッラヴァ語が取り入れられている。

◼️本作では開始後すぐに「THANKS SCIENCE」(科学に感謝)の文字が掲げられる。これはマラヤーラム語映画でしばしば冒頭に現れる「THANK GOD」(神に感謝)という文言をもじったもの。ジヨー・ベービ監督の強い意志がこのシンプルな謝辞にも見て取れる。

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[作品情報]

監督:ジヨー・ベービ
出演:ニミシャ・サジャヤン、スラージ・ヴェニャーラムード(ジャパン・ロボット)、T・スレーシュ・バーブ、アジタ・V・M、ラーマデーヴィ、カバニ
音楽:スラージ・S・クルップ、マチュース・プリッカン
2021年/ マラヤーラム語/ 100分
映倫区分:G
©Mankind Cinemas ©Symmetry Cinemas ©Cinema Cooks,

(記事中敬称略)

本作は「インディアンムービーウィーク2021パート1」にて上映。公式サイトはこちら -> https://imwjapan.com/

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