文部科学省の生態学

ここ数日、国立科学博物館が始めたクラウドファウンディングに端を発した文部科学省の官僚(を名乗る、と書くと嘘臭いがおそらく本物)のXのアカウント(https://twitter.com/kouro16)のコメントに、アカデミア界隈が激怒し、憤慨し、ブチ切れている。(まだ「Xのアカウント」と言っても何がなんだかわかりませんね)

一応自己紹介をしておくと、私は「任期無し」の職に憧れるいわゆる高齢ポスドクである。現在は一応アカデミア界に属していると言えるけれどもこれもいつまで続くかは全く分からない。見当もつかない。
大学経営とかに関わったこともないので本当のところの実情、というものはが分かっていません。それでもやはり「今、アカデミアが経済面でいかに困窮しているか」という話は自然と耳に入ってくる。先だって話題になった理研の雇い止め問題も、理研に十分に人件費を出せるだけの余裕がないことが究極的な問題なのだろう。それ以外にも、「大学が電気代を出す余裕がないのでクーラーを止められた」みたいな話は少なくない。日本でアカデミアは死にかけている、もうすぐ死ぬ、と言って良い。

これに対し、「科学技術の予算は出している」と政府は言っているのだが、いわゆる「選択と集中」という根拠不明のお題目を通し続けており、ごく一部の大学、ごくごく一部の研究者については予算が潤沢にあるものの、その他の圧倒的多数の研究者たちは貧しい思いを続けている。
少なくとも、この数十年で日本で生み出される論文は、質も量も低下し続けている。にも関わらず、政府は政策の誤りを認めることはない。

「質の高い論文数」中国が2年連続で世界1位に 日本は過去最低の12位

というニュースにおいても、「働き方改革などにより、研究時間の確保が難しくなっていること」が原因の一つとしている。現実を直視して問題解決に取り組むなんてことは考えもせず、ひたすら責任放棄してやり過ごすことだけ考えている。戦後80年近く経っても、「絶滅」を「玉砕」に、「撤退」を「転進」に言い換える、美しいニッポンの伝統文化は今も生き続けているのだ。

さて、このような絶望的な状況に対し、文部科学省は何をしているのだろう?
実は私はこの点、何にも知りません。残念ながら大型予算をいただけたことはなくて接点もないし、科学政策がどの様に立案されているのかもわかっていません。だから以下のどちらかなんだろう、と思っていた。

1) 財務省に予算の権限を握られていて、忌々しく思いつつも何もできない
2) 「選択と集中」の誤りに気が付きつつもそれを認められないでいる

しかし、Ichiro Kuronuma 氏 (https://twitter.com/kouro16)の一連のツイートを見てこのどちらでもないことが理解できた。

文部科学省は、日本の科学が発展しようが衰退しようが、関心も興味もないのだ。


Ichiro Kuronuma 氏がするのは手続き論だけである。日本の大学の運営に関して大きな権限を握っているはずなのに、「日本の科学を世界に冠たるものにしよう」とか「科学技術を発展させることで経済成長をもたらそう」なんて意識は微塵もなく、「文部科学省という組織を維持しよう」以外の意思は何もないのだ。もし少しでもあれば、困窮するアカデミアに対して申し訳なく思うか、なんらかの言い訳をするはずだ。

アカデミア全体をショッピングモールに例えると、大学・研究機関はテナントに入った商店であり、文科省はモールの経営会社になるだろう。テナント代は値上がりを続け、ショッピングモール全体の売り上げも落ちている。商店はもちろんモールの経営会社に文句を言う。しかし返答は「私ら警備員みたいなもんなんで、良くわかりません」。実質的な権限を握っているのに、責任感はかけらもない。「私たちも雇われたからここにいるだけなんで」

自己の生存を絶対的に優先し、それ以外の余計なことは何もしない。
文科省を一個の生物として捉えた場合、このようになるものもしかしたら自然なことなのかもしれない。残念だけれども。

おそらくこれからも、Ichiro Kuronuma 氏とアカデミア側との会話は噛み合うことがない。だって向こうは自分の仕事だと思っていないから。アカデミア側は、文科省を動かせる政治家に働きかけるべきなのだ。そしてそれは民主国家としてはあるべき姿でもある。

なんとなく、日本という国は官僚が動かしていると思っていた。そのこと自体は間違っていないかもしれないが、そこに自己保全以外の意思はない。無責任な存在が国を動かしている。そのことが明らかになっただけで、この一連の騒動は色々興味深いと言えるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?