貝殻 其のニ

父は僕が中学の時に他界していた

実家は車の整備工場を営んでいたが
父は仕事中に突然倒れ、意識が戻らないまま
翌日には息を引き取った

母は社長となり
当時から父の仕事を手伝っていた母の弟と
整備工場を存続させた

僕の記憶にある父は仕事ばかりしていた

いつも肩や腰にあてた湿布と
機械油の匂いをさせて

仕事の後は食卓で晩酌するのが決まりだった
酔った叔父がベラベラと話すのを
父は黙って、楽しそうに聞いていた

そういう無口な人だったけど
小さな頃は何でもない日に
気前よくおもちゃや自転車を
買ってくれることもあった

でも、どこか旅行に行ったり
公園で遊んでもらった記憶はほとんどない

そして父が生きていた最後の数年は
碌に話しもしなかった

思春期というのもあるが
油臭く仕事をしている姿が疎ましかった

要領よくスマートに振る舞えないのを
格好悪いと感じていた


佐藤さん

目の前の、父の生き写しが
僕の苗字を呼んだ

あっ、はい、そうです

そうだ、他人なのだ
下の名前でなく苗字で呼ばれて我に帰った

お迎えに来ました
乗り継ぎもあったし、長旅疲れたでしょ

気がつけば日は傾いている
ほぼ一日がかりの船旅で
確かに疲れていた

男は僕から荷物を引き取ると
軽のバンに案内した

歳は父が亡くなった時より少し上に見えた
日焼けした肌にシワが刻まれている
白髪が目立つが染めてはないようだ

父もこんな風に歳をとっただろうか

じゃあ、行きますよ
すみません、ちょっと揺れますんで
つかまっとってください

話し方や声は似ていない

でも見た目は運転する姿勢まで
父とそっくりだった

その人は、良治、と名乗った

島の人間には屋号よりも
良治のとこに泊まってる、いうてもらった方が
通じますよ

ほどなく民宿に着いた

奥さんと、他には近所に住む姪が
手伝っているそうだ

玄関で良治さんが声をかけた
奥さんが出迎えて
僕を二階の部屋に案内してくれた

風呂の使い方や食事の時間について
ひとしきり説明して、
奥さんは階下に戻っていった

ひとりになった

畳にゴロンと横になると
眠気がさしてきた
今朝は早かったのだ

少し寝た後で風呂に入った
一階の食堂で、瓶ビールを飲みながら
魚の煮付けと刺身の晩御飯をひとりで食べた
良治さんはいなかった

祖父に隠し子がいたとは思えないし
他人の空似なのだ
父の血縁ということはないだろう

寝る前に少し父のことを思い出したが
すぐに深い眠りに引き込まれた

次の日、朝食を済ませると
奥さんに島の地図が書かれたパンフレットを
もらい、島をブラブラと歩き回った

これといって見るべき史跡はなかったが
山の上から眺める景色は爽快だった

眼下に黒々と広がる密林と
小さな船着場の周りに肩を寄せ合う家々

間に寺と墓場、水産物の加工場らしい建物
役場と交番が面した島で唯一信号のある十字路

その向こうは茫漠と海が広がっている

確かに何もない
でも、充分だ

ここは古い砲台の跡らしい
今は大砲は外され、コンクリートの台座に
柵を巡らせて展望台となっている

しばらく柵にもたれて景色を眺めた
西の方角にフェリーで乗り継いで来た島が見える

見晴らしがいいでしょう
海しか見えないけどね

後ろから女の声

佐藤さん、お昼どうされますか
島には食堂がないから
食べるなら作りますけど

良治さんが言ってた姪だった
僕は、食べます、と言って
姪と一緒に山を降りた

姪は、舞、と名乗った

お昼は奥さんと舞が
一緒にいいですか、というので
食卓を囲んで食べた

そんな風に家で人とご飯を食べるのは
久しぶりだった

それからは島にいる間、
ただただ飯を食い、
ブラブラして過ごした

朝食の後、民宿から読み古された文庫本を
一、ニ冊持って出る

島に二軒ある商店のどちからで飲み物を買い
狭い路地を抜けて、
猫の額ほどの砂浜に出ると、
波打ち際を歩いて
その先の岩場までいって腰掛ける

そこは岩の背後から大きな木の枝が
覆い被さり、丁度良く日陰になっている
足の下には打ち寄せた波が砕けている

そこに足をぶらつかせて本を読む

昼になったら漁船が並ぶ
港をまわって宿に帰る

漁船の脇で漁師が働いている
良治さんを見つけて遠くから軽く会釈すると
大きく手を振ってくれた

宿で奥さんと舞とお昼を食べる
昼は揚げ物か麺類が多い

ある日、コロッケを食べながら
たわいもない話しをしていたときに
ふと言ってみた

良治さんって僕の死んだ父に
そっくりなんですよ

奥さんは驚いた顔をして

そうですか

とだけ言った
会話はそれで途絶えた

さぁ、掃除しないと

舞が立ち上がった
僕は部屋に戻った

その夜、風呂に入りながら
奥さんの反応を反芻した
何かいいたそうな気がしたのだ

帰る前夜は皆で食卓を囲んだ
良治さんもいた
僕は良治さんと二人でビールを飲んだ

良治さんは

昨日の漁で肝を冷やしたこと

未熟なダイバーが海流に流されたのを
助けたときのこと

優しい商店のおばちゃんが
昔はすごい美人で、でもえらく怖かったこと

いろいろ話してくれた

饒舌なところは父に似ていない
でも、一緒に酒を飲めて良かった

翌日、帰りの船は昼頃にでる
奥さんはおにぎりをつくって持たせてくれた

少し早いけど出ますか
最後にとっておきのところを見せますよ

良治さんは僕を車に乗せて
船着場と反対方向に向かった

海沿いの道を回って島の裏まで進むと
行き止まりになっている

そこにある駐車場に車を停めて歩く

木々の向こうから岩を叩く波音が聞こえる

獣道を進み岩場にでた

落ちないように慎重に下の方に降りると
洞窟があった

洞窟は壁面に沿って人が通れるスペースが
あるがそこから内側は落ち込んで
海水に浸っている

転ばんように気をつけてな

歩きづらい岩だらけの通路を奥へと進む

進むにつれて暗くなっていた洞窟が
仄かに明るくなった

急に天井が高くなり、
ドーム状の広い空間が現れた
通路は平らで大きな岩へと繋がっている

良治さんが手招きして
岩の上に立たせてくれた

息を呑む美しさだった

天井に空いた穴から漏れた光が
水面を瑠璃色に輝かせる

それがまた反射して、ひらめいて
壁面から無数に露出している
ガラス状の石を煌めかせている

綺麗なもんでしょう、と良治さん

まったく見事だった
二人でしばらく黙って見ていた

良治さんが口を開いた

お父さんに、そんなに似とるかね

僕は一度良治さんに向き直ってから
また壁面に視線を戻して言った

そっくりなんですよ、ホントに

良治さんは父の人柄を訊いてきた
僕は父のことを話した

立派な人だったんだねお父さんは
オレなんかとは大違いだよ

良治さんは、壁面を見ながら続けた

私もね、子供いたんですよ
男の子ね、でも死んでしまった
事故でね

昔、若い頃は島を出て
内地で中小の証券会社につとめててね
まぁ、ちゃんとした会社じゃなかった
とにかくカネ、カネって

仕事きつかったけど稼げたからさ
稼ぐだけ稼いで使って、呑む打つ買う、
全部やって、平成入っても
昭和のまんまのスタイルでね

息子はサッカーやってたんですよ
でもね、試合は一回も見に行かなかった
日程忘れて飲み明かして、寝坊して
最悪でしょ

僕は、無理に話さなくて良いのにと
少し思った

けど、違う、
聞いて欲しいんだこの人は僕に

だから、そのまま黙って続きを聞いた

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