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スポーツと向き合った結果、書くしかなかったんだろうなぁという話

梅雨の豪雨が止み、日中、灼熱の太陽にさらされ続けたハードコートが、溜まった雨を蒸発させ、不快指数を高める。むせ返すような暑さの中、まるで終電に向かうビジネスパーソンのように、お小遣い片手に駄菓子屋に走る少年のように、最終レッスンに間に合うため、重い熱気をかき分けてインドアコートに走る。頭の中は、その熱気の何倍ものモヤモヤを抱えたまま。

今から約5年前、前職の江坂テニスセンターでテニスコーチとして働いていた時の僕だ。レッスンの数は1日6個くらい。多い日には10レッスン。それこそ年休5日で働いた30代だった。

同時に30代はそのモヤモヤと、格闘した日々でもある。

28歳の時にスペインテニス留学から帰国し、ジュニアを強くするため、大人の生徒さんにそれぞれのテニスライフを楽しんでもらうため、コートに立ち続けた。頭の中に充満するモヤモヤを除いては、本当に刺激的で充実した毎日。

そんな前職を辞めて4年が経った。テニスの海外遠征をしながら、テニス以外の仕事も少しこなす。それでも時折、そのモヤモヤは身体感覚を伴ってやってくる。そう、駅に向かって歩いている時、本屋さんで本を選んでいる時、シャワーを浴びようと服を脱いでいる時、頭から何やら濁った感じの湿気をはらんだ煙が、立ち昇る気配を感じるのだ。

そろそろ向き合わなくてはならない。
そろそろそのモヤモヤの正体を、突き止めなくてはならない。

シャワーから出てくる、心地よい水圧の一本一本が、何の特にもならないその行動を後押しする。そのモヤモヤの正体を突き止めるために、俺は小説を書くんだ。

そう決めて書き上げた小説がこちら。

新米テニスコーチ渉が、真面目な小学生ハルトを育て、憧れだった岡本コーチの教え子である最強プレイヤー太一を倒すため、癖あり先輩コーチ真藤との確執を乗り越え、その教え子である天才ケンジと競いながら成長していく、教育系青春エンタメ小説。

モヤモヤの正体は一体なんだったんだろう?

前職にいた頃は、見つけられなかったその正体を見つけるため、昔の自分と向き合った。テニスコートに立ち続けた日々の影響で、小学生が一筆書きできるくらいのシナプス構造しか持ち合わせていないであろう脳味噌を、どうにかこうにかフル回転して書き上げた。ベタな言い方だけど、書き上げた4月20日には、脳味噌は、3匹の虎が溶けた濃厚なバターになっていた。

以前の職場にいた頃は、その正体に行き着くまでに、どこにでもある職場での問題が思考の邪魔をして上手く向き合うことができなかった。そう、正体を探りたい気持ちは、あの人がこう動いてくれたら、システムがこう変わったらという、職場への不満によってジャンキーな味付けをされ、全く違う味覚に変わり素早く消化される。すなわち、数行の文章で表現し、急いで脳内を整理し、自分を納得させ明日の仕事に向かうことを求められた。

今は違う。

味付けされることなく味わい、しかも数行ではなく、じっくりじっくり考えることができる。ツイッターやフェイスブック、ユーチューブ、短文のものから10分くらいの動画で結論を出すことに慣れていた身体と脳に、読了まで数時間かかる小説というアウトプットは、ただらなぬ消耗と向き合うことになったが、これまでにない正体の存在にたどり着いた感じがする。

本来答えがない教育論や指導論という問いに対して、安易に解を求めていたばかりに、正解にたどり着けなかった。本来このような問いに対しては、おぼろげながら少しだけ正解が見えた、というので十分だったのかもしれない。

この物語を書くにあたって、絶賛上映中の「るろうに剣心」や「龍馬伝」の監督である大友啓史さん、「宇宙兄弟」や「ドラゴン桜」の編集者である佐渡島傭平さんに、先生として作品を見ていただいたのだが、最終締め切りの3月10日の2日前になっても、主人公の気持ちと向き合えず、上手く表現できすにいました。

その時、一緒にその2人の先生の講義を受けていた仲間から、

「その主人公の気持ちを書く理由が、稲本さんの人生には存在する」

という励ましの言葉をいただきました。テニスというスポーツに出会い、28歳まではスペインに留学までして自分の力量アップに邁進しました。それ以降は、自分以外の誰かをレベルアップさせるために、違う角度からテニスというスポーツと向き合ってきました。そんなどっぷりテニスに浸かった人生の中で、自分自身を掘り起こしていくのは、とても疲れる作業でした。

主人公の気持ちと向き合うことで、モヤモヤの正体を小説としてよに送り出すことができました。

これまでテニスと出会って良かったことは?と聞かれると、努力し続ける能力が身についたことや、誰かを応援できる仕事に就けたことなどを挙げていました。これからは、そこに、自分と向き合い、掘り起こし、小説を書き上げたことということが加わります。

スポーツを続けることが、まさか、自分自身を掘り起こして小説を書くことに繋がるとは、思ってもみませんでした。

でもこれはやっぱり…、45歳というこの年齢で、書くしかなかったんだろうなぁと思っています。テニスというスポーツを向き合うことで、出会った教育面や指導面から現れた正解のない問いに対する答えと向き合うため、これからも少しずつ、書いていこうと思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。


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