テニスが上手くなる弊小説の試合シーン
2冊目の小説。「静寂の海・創楽の音」は、難聴を抱える小学生女子テニス選手が成長していく物語。なかなか評判がいいのが試合シーンです。
今回はクライマックスの始まりを全文紹介します。難聴を抱える主人公サクラが大阪1位のリサと対戦する試合の立ち上がりです。試合シーンを読んで
・試合に没頭できるようになった。
・試合中にどんなことを考えればいいのか、頭がまとまった
などの感想を頂いてます。ではどうぞ!
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審判台を挟んだベンチにそれぞれが座り、ラケットを取り出してシューズの紐を結び直した。サーブ権を決めるためにネットを挟んで立ち、トスをする。リサがくるくるとラケットを回してグリップエンドを隠す。
「アップ」
サクラは、トスに勝ちレシーブを選んだ。できるだけ早く、リサのスライスサーブに慣れておきたかったし、そもそも自分のサーブには自信がなかった。
「あの私…」
サクラはそう言うと、リサに補聴器が見えるように近づきながら、試合中は補聴器を外すので声が届かないことを伝えようとすると、
「あ、わかってる。岡本コーチから手話でのカウントの仕方習ったからそれで伝えるね。でも慣れてないからうまくいかなかったらごめん! 」
リサは明るい表情で親指を立てて、了承のポーズを作った。サクラは、そのサバサバした態度に、テニスを極めようとする精神的な強さを感じ、早くも圧されそうになった。
お互いにベースラインまで別れてサーブ練習を4本ずつ行う。こういう小さい大会では、ラリーなどでウォームアップすることはなく、時間短縮のためサーブだけを打ち合って試合を始める。でもそれはサクラにとって、リサのサーブをリターンできる絶好のチャンスだった。
大きく息を吸うと、吐きながら左右の補聴器を取り、ケースに収納してラケットバックに入れる。静寂が訪れ、サクラだけの世界が訪れる。
高く飛ばないように、できるだけ両足を開くイメージでスプリットステップを意識する。リサは、サーブを打つ前に、今から打つよと言う感じで、ボールをサクラに見せてから打つ。鋭いフラットサーブが、サクラの正面を襲う。
サクラは、練習でやってきたことそのままに、ラケット面をぶつけにいく
パチン!
サクラの手に良い感触が残る。サーブを打ったリサの2メートル左に、弾丸ライナーの軌道でボールが突き刺さる。リサは、平然を保っているが、そのリターンの鋭さに少し動揺した様子が伺えた。
いけるかも。
額からは緊張からか濃度の高い汗が流れてくるが、自分のテニスはリサ相手にも通用する気がした。残り3本のうち2本も同様に、リサのサーブ相手に鋭いリターンが返る。リサの伸びてくるサーブに対し、さらにスピードを乗せて打ち返せているのがわかる。
調子がいい時のサクラがそうなるように、姿勢が前がかりになり、臨戦態勢を作っていく。リサが練習最後の1球となる4球目のサーブを放つ。これはリターンエースを取るイメージで一番スピードを乗せていこう。サクラは、ボールに対して衝突にいくかの如く、身体を近づけていく。
リサの放ったサーブが、左に曲がりながら、低く速く、氷の上でバウンドしたように滑ってきた。迎え撃ったサクラのラケット面は、大きく振り遅れ、手にはサクラが最も嫌いな重く鈍い打感が残った。練習4球目にしてリサは初めてスライスサーブを打ってきたのだ。
コントロールを失ったサクラのリターンは、大きくアウトし、隣のコートまで飛んでいってしまい、隣のコートの試合を中断させてしまう。
「やられたな」
渉の隣で試合開始を見守る真藤が呟く。
「何がですか? 」
聞き返す渉に、
「あれも岡本の指示だろう。リサは、初めて対戦する相手には今のパターンをよく使う」
真藤は、コートを囲うフェンスに手をかけ、渉の方は見ずに、対面のフェンスの向こうにマイチェア持参で試合を見守る、岡本コーチに視線を向ける。
「最初の3球はわざと、ある程度力が入りやすいところにサーブを打ってくる。相手はリサの伸びるサーブに合わせるだけで、良いリターンが返るから安心する。安心させたところで、最後の1球は、スライスサーブ、曲がって伸びるボールを打ってくる。当然相手はタイミングが合わず、リターンできない。その悪いイメージを引きずったまま試合に入ることになる」
「小学生のこんな小さな大会でそこまで考えてるんですか? 」
「プロを目指すなら、どんな試合でもプロになるための予行演習だからな。お前の大好きな岡本コーチならそれくらい教えるだろ。お前はそこまで気が回らないだろうけど」
真藤は、早速嫌味をぶつけてくる。
「サクラは、大丈夫です。それくらいで動じないはずです」
強がる渉に、
「コーチのお前が後ろで、しっかり動じてるんだから、もう伝わってるよ、選手にも」
真藤は見透かしたように答える。
真藤の言う通りで、サクラは自分に順番が回ってきた4本のサーブ練習全てをネットにかけた。最後の1球はフレームにあたりネットまで届かずにワンバウンドする有様だった。動揺しているのは明らかだった。
情動は伝染する。
選手のメンタルにコーチの動揺は伝わってしまう。おそらくサクラも4本目のスライスサーブに不安を掻き立てられただろうが、同じように渉もこれから始まる試合に暗雲立ち込める気持ちになってしまったことで、サクラに伝わってしまい、サクラのサーブ練習にマイナスの影響を与えてしまった。
渉は、サクラを信じて、前向きな気持ちを保つよう努めた。どうすれば、接戦に持ち込めるか、その先にある勝利を掴むことができるのか、イメージし続けた。まずは最初のゲームでしっかりとリターンを返し、サクラの得意とするスピードボールを1球でも多く打つことが大切だ。渉は、サクラがリサのテニスにタイミングが合わせられるかどうかに集中する。
サーブ練習が終わり、選手2人は一旦ベンチに戻る。曇った空を見上げ、息を吐く。手には、まだ最悪の感触が残っている。あの感覚のまま打たされ続けたら、サクラにはチャンスがないどころか、試合は一瞬で終わってしまう。
サクラは最初のリターンの位置に向かいながら、渉と目を合わせる。慌てるな、慎重に行こうというメッセージが伝わってくる。サクラは、0−6であっさり負けたくないと思い、まずは慎重にリターンを返していこうと決意を固める。
「お願いします」
静寂の中、リサの口が動いてサクラにボールを見せる。サクラも同じく
「お願いします」
と、声に出してリターンを身構える。リサのサーブは、それほどスピードが乗ったのもではなく、スライスもかけず、確率を重視したサーブだった。慎重にブロックして返そうと思ったサクラのラケットは、そのボールを待ちきれずに、泳いだ形になりフレームに当たって、リターンは大きくアウトする。
遠くで岡本コーチがニヤリと笑ったように見えた。
「完璧にハマったな」
真藤がフェンスに背を向けて天を仰ぐ。
「お前が、不安を感じずに見守っていれば、初球から開き直って強く打っていったかもしれん。でもサクラには、お前の不安が乗り移り、慎重にプレイしようとしてしまった。もし開き直っていれば、リターンエースが取れたかもしれんサーブだったが、合わせに行ったからミスった。弱気にいってミスった。最悪の立ち上がりだ。これはこのままズルズルいくぞ」
渉は、手を叩いてサクラを励ます。その拍手の音が届かないのはわかっているが、自分の気持ちを高めるためにも、そしてその高めた気持ちが伝染していくためにも、拍手してサクラを鼓舞しようとした。
続く2ポイントとも、サクラのリターンは相手コートに返らないばかりか、まともにラケットに当たりもしなかった。タイミングが合わず、フレームショットを続けてしまう。リサのサーブは、まだ全力で打っているというほどではないが、それが逆にサクラにとっては、何かぼんやりとした的が絞りにくいボールに感じて、打ち損じた。もっと思い切り打ってくれた方が打ち返しやすかった。
サクラ 0−40 リサ
4ポイント目。少し慣れてきたサクラのリターンは、サクラらしくない慎重な軌道を描いてリサのコートに返る。コート中央付近に返った、フォアハンドで打てるボールをリサは、あえてバックハンドに回り込んでスライスで打ってくる。
昨日、ケンジに練習してもらったスライス処理。低い体勢を作って、滑ってくるボールに対して恐れることなく体重を乗せていくサクラ。後ろで見ている渉にも思わず力が入る。これが、サクラの好きな打感で打ち返すことができれば、本来の調子を取り戻すことができるかもしれない。とにかく、まずはサクラのテニスを、いち早く取り戻さなくてはならない。
しかし、空回りは続いてしまう。地を這うように滑ってくると思われたリサのスライスは、バウンドすると、滑らずに上に弾む。意図的にバックスピンを多めにかけていたようだ。伸びてこないボールに、サクラは待ちきれず、完全に前に泳いだ状態で打たされる。
カシャン
と音がすると、ボールは大きく左に切れていってアウトした。また岡本コーチがニヤリと笑ったように見えた。
「さすがだな。サクラが、タイミング命のプレイスタイルであることを見越して、タイミングを狂わせるように、立ち上がりのプレイを設計された。サーブ練習も含めて、こっちが気持ちよくプレイするための芽を全て潰された」
真藤が、大きくため息をついた。
「格下相手にでも、ここまでしてくるのか」
渉は、1球もまともに打たせてもらえなかった第1ゲームを振り返る。
「岡本コーチは、全国優勝することを目標に選手を育てておるんじゃな。小さな大会でも、立ち上がりの戦い方のバリエーションを増やすために、色んなパターンを練習して試しておるんじゃろう。言われた通り実戦でやってのける、あのリサという子も大したもんじゃがの」
周世じいが現れて、真藤と渉の間に立つ。後ろのポケットには、ユイナとミオの試合中は持っていなかった缶ビールが2本刺さっている。周りの目もあるし、お願いだから試合終了までは飲まないで欲しいな、渉は会場中で熱心に我が子の試合を見守る保護者を見回す。
サクラ 0−1 リサ
チェンジコートをして、サクラはサーブを構える。その構えを見て渉に嫌な予感が走る。いつもの力感がなく、どことなく両足が、ふわふわのした雲の上に立っているようで、地面を掴んでいる感じがしない。
案の定、サクラのサーブは、トスが落ちてくる前に振ってしまい、ラケットの先っぽに当たる。ボールは大きく山なりの弧を描いて、真藤が握っている対面のフェンスに届くほどオーバーする。
渉は憎々しい目を岡本コーチに向ける。サクラは、ストロークのタイミングがズレると、全てのショットがおかしくなる。第1ゲームで一球でも自分の感触でボールを打てていれば、もっと落ち着いてこの第2ゲームに入れただろう。せっかくリサと対戦できるのだから、真っ向勝負でどれくらい通用するのか見たかった。小学生の試合であそこまでする必要があるのか?
「お前なぁ。諦めるのが早過ぎるんだよ」
真藤が渉の心の裡を見透かしたように呆れている。
「諦めてませんよ。焦っているだけです」
「だからその焦りが選手に伝わるんだろうが」
情動は伝染する。
そうだった。ここでサクラはどうプレイすれば、本来のテニスが戻るのだろうか。焦るよりも先に考えることがあった。
「リサさんも、自分本来のスタイルからすると、あえてギアを下げたテニスをしている。ギアを上げる時に、少し隙が生まれるはずじゃ。それまでに本来の打感を取り戻したいところじゃの」
周世じいが、後ろの2つのボケットを大きく膨らませているビールの丸みを撫でる。
サクラは、立ち上がりで試合への入り口を見失い、何も聞こえない世界で、どうもがけばいいのかもわからず、ただ不安に押し潰されていた。練習中であれば、落ち着いて自分のタイミングに戻すよう考えて、工夫しながらプレイできる。でも今は、自分のタイミングを探る行為でさえ怖くてできなかった。
立ち上がりの今の自分のテニスが最悪であることはわかるが、そこを抜け出すために、いつものタイミングを取り戻すために、タイミングを調整することが怖いのだ。身体が硬直してしまってできない。でももうセカンドサーブを打たなくてはならない。
サクラは、焦ってセカンドサーブを打つ。身体が伸びきることなく、腰が曲がった状態でインパクトするが、ボールはなんとか相手コートに入る。リサがバックハンドのスライスで落ち着いて返球するのが見える。
さっきはなぜ、あんなにタイミングがズレたのだろう。後ろ膝が曲がっていなかったのか、それともボールを呼び込んでいなかったのか。迷っているうちに、力のないスイングでただ当てるだけのボールがリサのコートに返る。リサはフォアハンドでサクラの正面に打ち返す。
これなら打てるかも、サクラはスライスではなく順回転で飛んでくるリサのボールに落ち着きを取り戻す。
「よし」
渉は、いけると感じた。サクラの構えが落ち着きを取り戻し、腰が落ちてカウンターパンチを放つボクサーのようにボールのバウンド地点に、上体が滑り込んでいく。第2ゲームのファーストポイントで自分の感覚を取り戻すことができれば、十分チャンスがある。
しかし、サクラのボールはどこか力ないインパクトになり、ボールはベースラインを割ってアウトしてしまう。
「ビビったのか、サクラらしくない」
渉は、ここで恐怖心が芽生えないように、サクラに拍手を送り励ます。ちょうど今、サクラは渉が見えるサイドに立っているので、わざと大きいアクションにして思いを届ける。
「徹底しておるの。頭がいいし、度胸もある。あの選手も男子の太一君同様に、全国優勝狙えるかもじゃな」
周世じいが相変わらずおしりのビールを気にしながら言う。ジーパンはビールの水滴で色が濃くなってきていた。
「じい、説明してやらないと、渉には何が起こってるのかわかってないですよ。ま、しばらく自分で考えろ」
真藤の冷たい言葉に、周世じいも優しい表情は向けてくれるものの、なぜ今の簡単なボールをサクラがミスしたのかの説明はお預けになった。意図的にリサが何かしてきていると言うのか。渉にはその何かが見抜けなかった。
そこから3ポイント、サクラはなんとかサーブを入れるものの、リサが打ち返したそれほど難しいボールとは思われない、フォア2球とバックのスライス1球を全てアウトしてゲームを失う。
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まだまだ続きますので。また紹介したいと思います。
電子書籍版とペーパーバック版があります。ぜひお楽しみください。
1作目の試合シーンも勉強になりますよ!こちらも電子書籍版とペーパーバック版があります。