旧ユーゴスラビア 4
少しモメているコソボ共和国を含め、旧ユーゴスラビアとして独立した国家は7ヵ国。民族や宗教、言語や文化など、各国が歴史的にものすごく複雑な事情を抱えている中で、活気や経済事情が、国によって余りにも違う事実に驚かされました。国の「レベル」に明らかな開きがあるのです。その事情を簡単に、訪れた国の順番に思い出してみます。
まず、1ヵ国目はスロベニア。ユーロ圏でもあり、文化も生活スタイルも典型的な欧州の小国です。街中の人々は、ほぼ9割以上英語が通じました。インフラにも問題がなく、街中もキレイ!
次に、クロアチア。英語を話す人々の数が1~2割減り、移民も多少増え、周辺国との関係が見え隠れします。北の隣国は同じカトリック教会の大国ポーランド、親戚がいるというクロアチア人も多くいます。実は、観光客の多くはこの国の地方都市を目指します。最大の観光地ドゥブロヴニクは、ジブリ映画「魔女の宅急便」でその美しい街並みがモデルとなり、その後日本人観光客数が急増したそうです(→私も行きました)。
3ヵ国目はセルビア。英語が分かる人はさらに2割ほど減り(恐らく半分ちょっと)、大国(人口700万人で最大)の割にあまり観光地化もされておらず、交通機関やインフラなどを含め、色々な産業が効率良く機能していない印象でした。何と言ってもセルビア正教会の国ですから、当然ロシアやその親交国との関係が切り離せません。ただし、ロシアのウクライナ侵攻には、今のところ中立の立場を取っています。
4ヵ国目はボスニア・ヘルツェゴヴィナ。多民族国家の影響からか、英語を話す人の数が7割以上と増える一方で、インフラ、街中の清潔度、人々のマナーなど、随分レベルが劣る印象でした。未だに援助なくしては成り立たない国です。半日ツアーのガイドさんが、社会主義時代はとても豊かに幸せに暮らしていた、援助してくれる日本にはとても感謝していると繰り返していました。セルビア兵から市民が無差別の攻撃を受けた、サラエボ市内の通称スナイパー(狙撃兵)通り、しかとこの目で「目撃」してきました。そしてこの地は、言わずと知れた「サラエボ事件」の舞台、第一次世界大戦はここから始まったのです。
あくまでも個人的な意見ですが、多文化社会、しかも大都会では自分というアイデンティティが薄れ、国や地域のために何か協力しようとか、誇りを持つなどは二の次になってしまう気がします。だんだんと「アジアの色」が濃くなってくるせいか、私自身も少し溶け込んでいくような感覚がありました。かのガイドさん、「欧州の東端&アジアの西端の国」と表現していました。ただし、政治的な問題はものすご~く複雑で、この方によると「常に3つの民族がそれぞれのトップを立てるが、多少の論争には目をつむり、仲良しのフリをして生きていく」と言っていました。
5ヵ国目はモンテネグロ。首都ポドゴリツァでさえ、街並みが発展途上国の、しかも地方都市の寂れた様相でした。「えっ、これが首都?」という印象です。しかし、それでも街中の人々はいたって元気でフレンドリー、外国人の私にも本当に親切でした。英語が通じるのは3割くらいかな。
ところで今回の旅行中、クロアチア語、セルビア語、ボスニア語、モンテネグロ語は全部同じ言語だと複数の方々から聞きました。便利に通じるというよりも、「我々は一つだ」という意味合いに聞こえました。民族的にも、目や肌の色も、見た目は皆さん同じです。ただし、クロアチア人はカトリック教徒、セルビア人は正教会、ボシュニャック人はオスマン帝国時代にイスラム教に改宗したスラブ系の末裔、そしてモンテネグロ人は正教会7割+イスラム教2割とのこと。同じ人々が同じ言葉を喋っているのに、このバラエティーに富んだ複雑な宗教構図、魔訶不思議です。
6ヵ国目はコソボ。欧州最貧国の悲惨さは感じられなかったものの、やはり7ヵ国中では最も事情が劣りました。とにかく全体的に街並みが暗~く、野外市場などは社会主義時代の、日本で言うと昭和初期ほどの雰囲気です(→その頃を生きていませんが)。一方、この国で初めて、街中で子供たちから声を掛けられました。「あっ、英語が通じた通じた!」と言われて英会話の練習相手になりました。それでも、全体的に英語を話す人は3割いないくらいかな。
そして最後、7ヵ国目は北マケドニア。決して豊かではない国ながら、非常に個性的で明るく、温かい国。私が最も現地の人々と触れ合った国です。〇〇広場はドコ?と尋ねただけで、その後30分に渡り雑談が続いたり、子供たちからも声を掛けられたり、予約したホテル探しに延々と付き合ってくれたり、レストランのウェイターさんが代わる代わる私の席に来て色々教えてくれたり質問してきたり、最も印象深い国となりました。片言の方々が圧倒的なのに、全体では7~8割が英語を話す(話しかけてくる)という印象です。
ガイドブックによると、アルバニア人(→アルバニア共和国は旧ユーゴスラビア圏外です)はさらに人懐っこいことで昔から有名なのだとか。ヒッチハイクの車も簡単に見つかり、場合によっては「我家に泊まっていけ」とまで言われるそう(→ちょっとコワイ)。そう言えば、トルコ人もそうでした。皆さん、外国人慣れしています。「人」を旅のテーマにしている私としては、これからもこうした「人好き」の国々をもっともっと訪ねてみたいものです。
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