見出し画像

日本はなぜ発展したか 6

<競争>
 とある私の友人の出身大学(女子大)は、いわゆるミスコン、ミスコンテストで何人かの優勝者を輩出しています。そこで、「その理由は何だと思う?」とその友人に聞いてみたところ、「競わせる何かがあるんじゃない?」とのこと。なるほど、世界的な美女を生み出すためには、もちろん遺伝やホルモンなど、肉体的に特有な面もあるでしょうが、キレイになるぞ~!という強い決意が必要なのかも知れません。

 国でも会社でも人材でも、何かが育ち、発展していく上でとても重要な要因の一つがこの「競う」という意識なのでしょう。これがあれば、猿まねと言われようが小手先と言われようが、素晴らしいモノが作られるはずです。

 ところで、最近ふと「日本の発明品」を調べてみたら、私が知らないものが並んでいて驚きました。自動改札機、乾電池、シャープペンシル、自動車用エアバッグ、魚群探知機などなど、他にも数多くありました。きっと各業界の方々が長い間本当に切磋琢磨して開発し、商品化し、改良を重ねたのでしょう。またまた、日本人は働いてばかりだと言われそうです・・・

<協力>
 競争と書いた後に、むしろ反対の概念を持って来ると混乱を招くかもしれませんが、これもやはり重要ですね。要するに、「競う」ために一丸となって「協力」するのでしょう。

 日本の小中学生が、学校で教室を掃除することは以前書きました。それに加えて「給食」の支度や片付けも、教育の一部と考えられていますよね。これもまた、海外の方から驚かれます。各クラスに給食当番がいて、割烹着(表現古い?)を着て給食を取りに行き、教室まで運び、給仕や献立の説明とか、おかわりを勧めるとか、ほとんど「アルバイト」みたいなことをする訳ですよね。もちろん、コミュニケーション能力も相当伸びます。

 私は、こうした教育が大人になってからものすご~く役立っているのだとしみじみ思います。特に、団体行動をどう取るか、自分が団体(=クラス)の中でどのような役割を持つか、どう動けばよいか、この「誰かのために皆で動く」、つまり協力することに小さいころから慣れている国民とそうでない国民、とてつもなく大きな違いが出ると思うのです。

 日本の学校教育では、「皆で何かを完成させる」機会が海外に比べてはるかに多いですよね。運動会、文化祭、部活動、クラス内のグループ分け、などが挙げられます。運動会の組体操、教員の過重労働など、社会的な問題はまだまだ多いですが。

 一方、常に団体の中で相談して結論を出すという環境で育つと、人は何らかの決断に多大な時間を注ぎ込みます。だから日本人、日本企業、日本政府が下す決断(あるいは変化や改革など)はとてつもな~~く遅く見えます。日和見主義とか、後出しじゃんけんとか、全員権限がないとか、言われ放題な訳です。「団結精神」の負の一面でしょうか。

 とにかく、この<競争>と<協力>、何かが成長したり進化したりする上ではどちらも重要な概念のような気がします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?