弱キャラ友崎くん Lv.11感想~ニーチェ的な視点から ※ネタバレあり

本日弱キャラ友崎くん Lv.11を購入し、読了しましたので感想を書いていきます。
(特にアニメ勢の方はネタバレ注意です)

私はこの作品をアニメの1期で知ったのですが、友崎くんの人生後略に親近感を覚え、すぐに夢中になってしまいました。というのも、私も高校時代、異性に話しかけるノルマを自分に課したことがあり、友崎くんのそうした部分に親近感を覚えたからです。(私の場合は特に何の成果もありませんでしたが……)
あと風香ちゃんがかわいすぎる。かわいすぎます。風香ちゃんを泣かせたらまじで許さん!と思い、気がつけば原作を一気に購入していました。

それから待つこと1年以上。
ついに11巻が発売され、読んでみると……。

ものすごーーーーーく考えさせられました。

友崎くんと一緒に、どうしたらいいんだ?と、めっちゃ悩みました。カロリーの消費がやばかったです。自分の生き方にどう意味を与えるのかという問いは、私がニーチェに触れてから、ずっと考えてきた問いでもあり、日南さんのこれ、答え出ないやつだろ……と、唸ってしまいました。

永遠回帰、すなわち人生が無価値であることを受け入れ、なおこの生を肯定できる人間を、ニーチェは『超人』と呼びますが、それが可能な人間は生まれながらに決定されています。そのため、ほとんどの人間、すなわち「弱者」は生に意味を与えてくれる虚像を信じるしかありません。けれど、その虚像が誤りであると示されると、人はニヒリズム、絶望に陥ってしまう。弱者がこのニヒリズムを乗り越える術を、ニーチェは教えてはくれません。

意味がなくても生きられる友崎くんと、意味がないことに絶望する日南さんの対比に、ニーチェにおける超人と弱者のそれを感じてしまいました。(「神は死んだ」も、まさしくニーチェが弱者がニヒリズムに陥るきっかけを与える言葉ですしね)

日南さんというパーフェクトヒロインは、自分に価値がないと考える人にとって、価値ある生き方の理想形に思えます。けれど、彼女ですらニヒリズムは克服できなかった。努力は生の無価値化に打ち克つことはできないのです。では、「弱者」である人間はどう生きればよいのでしょうか。

実際のところ、このジレンマと向き合わなくとも人は生きていけます。難しいことなど考えず、楽しいことをそのまま楽しみ、できる範囲で努力して、達成の喜びを素直に受け入れればいいのです。それはとても健康な生き方だと言えるでしょう。

ただそれでも、人生に意味を求めてしまう人間はいるのです。私も含めて。そして、彼らは気休めとしての虚構の「意味」では納得ができない。

人生に意味がないという苦しみ。パーフェクトヒロインでも打ち破れなかったこの問いに、友崎くんとその仲間たちはどのように立ち向かうのでしょうか。

今から12巻がとても楽しみです。
(次回こそは、脱力系後輩女子のぐみちゃんに見せ場がきっとあると信じています!)


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