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なんかちょっと、ビミョーな話。

素晴らしい人格者とされる人は、見返りは求めるなと言います。

僕も基本的に、見返りは求めないようにしなきゃと思いながら生きている方なのですが、どうしてもビミョーな気持ちになってしまうことがあります。

あれは、昔から付き合いのある後輩の母に頼まれて、危機に遭った後輩を救ったとき。その時はかなり金銭的に援助をして、メンタルもボロボロだった彼の隣に居続けました。僕は仕事も何とか都合をつけて駆けつけましたし、月収もあまり多くありませんでしたが、その時は救いたい一心です。

事が済んで、彼もある程度回復した時に、彼の母親に会いました。しかし、僕に対して感謝の言葉は何一つありませんでした。話題は、自分の息子がいかに被害が大きかったかということ。もちろん、その母親が僕に助けてもらったわけではないのでいいのですが、「一応、あなたに言われて行ったのに…」という気持ちが残ります(笑)。自分の息子が可愛いのは分かりますが、金銭的に精神的に支えた人間にお礼の一つも言えないなんて、ちょっとビミョーです(笑)。

これが批判ではなく、なぜビミョーなのかというと、今の胸中を正直に伝えて、僕は何らかの見返りが欲しいがために働いたと思われることも嫌ですし、それは本音でもないので言いたくもありません。こっちも「ありがとう」のために生きているわけでもないので、追及したくないです。

それでも、相手は子どもでもないのでちゃんと伝えたい気持ちはある。しかし、それは法律上の問題ではなく、道徳の問題。いちいち指摘するのも教育臭いです(笑)。もう、面倒くさい、これは僕のお腹の中にしまっておこう。それも深くお腹の中にしまっておこう。

結論、僕は人に感謝を伝えようと思います。ありきたりで申し訳ありません(笑)。自分の願いをきいてくれた人、時間を割いてくれた人など、感謝をするべき人間は、たくさんいるんです。

この経験を通して分かったことは、相手のしてくれたことに対して、心からの感謝を伝えられているかという問題は、かなり重要だということです。大切な人に僕のようなビミョーな気持ちを抱かせたくなければ、僕はうざいほど感謝を伝えた方がいいなと思いました。

そういう結論に至った僕は、友達と遊ぶときに待ち合わせ場所に来てくれたことに関してまずは感謝し、長時間過ごしてくれることに感謝し、お金も使ってくれることに感謝しました。

とっても、接しづらそうでした(笑)。

感謝のタイミングも研究しなくちゃいけませんね。

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