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奈良にうまいものなし

私は三重県四日市市の出身で18歳までは三重県で生活しました。

大学入学と同時に関西へ移り住み、結婚して奈良県での生活が始まり

早30年が経ちました。

30年間奈良県に住んで痛感することがあります。

圧倒的に「災害が少ない」ということです。

私の実家は三重県で造園屋を営んでいますが、台風や大雨が来ると父親が

現場を心配して見に行ったり、風よけの設置を手伝ったり、ということが

年に何回もありましたが、奈良県に引っ越してからは本格的な台風にあった

のは30年間で2回だけです。

今まさに、九州や東北の方は大雨の災害を受けていらっしゃる中でこのよう

な記事を書いて恐縮なのですが、本当に奈良は災害が少ないです。

これで私が何を言いたいかというと、先人の知恵というか、先見の力という

のが、本当にすごいと思います。

ここからは持論です。

邪馬台国論争

ってご存知ですか?

そもそも日本の始まりともいえる、卑弥呼の「邪馬台国」が、奈良盆地を中

心とした近畿地方にあったか?

それとも九州の佐賀県を中心とした北九州エリアにあったのか?

という論争です。

私は30年間奈良に住んでこう思います。

最初は九州に大きな国があったのではないか?そして奈良にも集落があっ

た。九州の国は朝鮮や中国から来た人々で造られていて、当時の最新の技術

を駆使して町を作った。

だから、九州からたくさんの土器などの道具が出てくる。

しかし、荒天続きの九州から、何らかの情報で奈良県に移り住み、ここ奈良

に大和朝廷を築いたのではないか?

と私は思います。

奈良には大川がない

昔の人にとっては、荒天の際の川の氾濫が、最も恐ろしかったと聞きます

九州は、大陸から最も近い位置にあるので、文化交流や技術の発展には欠か

せない土地ですが、やはり台風の通り道、大きな川もたくさんあります。

今のように治水技術が発展していなかった時代には、そうした意味では九州

を政治の中心地とするのは難しかったのかもしれません。

しかしそこから奈良に目を付けた先人の知恵というのは本当にすごい。

天気予報も地図もない時代にどうやって九州から、盆地の奈良県に目を付け

たのか?

奈良県には天然の大川はほとんどなく、人口の川や池が多く存在します。

それだけ水の災害が少なく、逆に水不足があったのではないかと思う位です

九州から奈良へ

従って、私は九州に入った渡来人が、奈良県に移り住み、大和朝廷を築いた

そして、日本という国を作ったのだと思います。

ですので、邪馬台国そのものは九州にあって

その名前の所縁で奈良に新しく作った国を「ヤマト」と名付けたのではない

でしょうか?全く素人の私がこんなことを言って学者先生には怒られそうで

すが・・・

奈良にうまいものなし

志賀直哉の随筆に書かれた名文句ですが

昔から奈良県人は温暖な気候や災害の少ない立地、それに観光客によって

生計が建てられるということで、あまり一生懸命に商売しなかったという

皮肉な一面があります。

さらに「早起きは三文の徳」ということわざも奈良県発祥のようです。

このことわざの語源には、諸説ございますが、なにせこうでも言わないと

早起きしないなら県民は昔からのんびりしていたのでしょう。

先日から近所の空き地で考古学研究所が看板立てて掘り続けていましたが、

どうやら今回は出なかったようです。


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