見出し画像

照ノ富士の魅力

今場所(令和3年大相撲名古屋場所)で横綱昇進を目指す照ノ富士とはどんな力士なのか?
大関照ノ富士の魅力に迫る。

天才少年

照ノ富士は子供のころから勉強一筋の天才少年、17歳でモンゴルの技術大学に飛び級で入学が決まっていた。
なんとそれまでに運動の経験は全くなかったというからビックリ!
引退した横綱 日馬富士も絵画の天才として少年時代からモンゴルでは名をはせていたそうだが、こうして日本にやってくるモンゴル人力士は多才な人が多い。

話は照ノ富士に戻るが、17歳で技術大学入りが決まっていた照ノ富士を、母親が日本旅行に連れて行ったところ、偶然、相撲関係者に遭遇、観光をキャンセルして連日相撲部屋の見学に日参したという。

この日本旅行がきっかけとなり、17歳の少年は技術大学の入学を取りやめて、日本への相撲留学を決意した。
 この時、日本旅行に連れて行った母親は相撲留学に反対、「技術大学への入学」を切望したという。

それから、彼は鳥取城北高校に相撲留学、卒業後、大相撲の世界に入った。

大きな体格とかわいい声

私の照ノ富士関の印象はというと、「女性ファンが多い」ということ。
192cmの大柄に似合わない甲高い声うまい日本語
インタビューでも相当粋なことをいう力士だ。
それもそのはず鳥取城北高校へ入学の際には、もうすでにほぼ日本語をマスターしていたという。

入門後の出世の速さは言うまでもないが、入門した間垣部屋が閉鎖して、現在の伊勢ケ浜部屋に移籍している。
このあたり、彼の順風満帆ではなかなかいかない相撲人生を象徴しているようでもある。

稀勢の里戦での膝の大けが

もともと大きな体を生かしての「大きな相撲」を取るのが照ノ富士の魅力であったが、その大きな相撲が原因で、けがを負ってしまった。

大関昇進後の2015年9月場所13日目の「稀勢の里」との一戦、照ノ富士の得意技は「キメ出し」と「吊出し」この腰の重い稀勢の里強引に試みた際に膝が入ったように私には見えた。そのまま稀勢の里に寄り倒されてしまったが、この敗戦後も照ノ富士は強行出場を繰り返した、私はこの強引な吊が照ノ富士のその後苦難の原因とみている。
その後も照ノ富士は膝の痛みに悩む。
特に取組前には毎日膝にたまったミズを大きな注射器で抜いてから土俵に上がる。
こうやって、ごまかしながらも照ノ富士は勝ち星をもぎ取り続け、何とか大関の地位を守ってきた。

私が、これまでの相撲観戦の中で最も印象に残る相撲は2017年3月大阪場所、
13日目の日馬富士戦で左肩を強打した「新横綱 稀勢の里」との千秋楽での優勝争い。手負い同士の苦しい激戦。本割でも優勝決定戦でも、照ノ富士・稀勢の里ともにまともに立会ができなかった。
大声援に助けられた稀勢の里が辛くも連勝
大阪のファンは内容よりも新横綱 稀勢の里の優勝に史上最高の盛り上がりを見せたが、その陰で照ノ富士の悲しそうな表情が印象的な締めくくりだった。

その年の夏場所から、照ノ富士は糖尿病の発病もあり休場を繰り返すようになり、大関から陥落
それどころか関取からも陥落してしまった。
2018年7月場所で幕下への陥落が決まったが、大関経験者の幕下陥落は史上初である。

親方と奥様の支え

幕下陥落後、照ノ富士はひざの手術を決行、その後は洋式トイレにも座れない状態、心が折れかけていたと思うが、この時、伊勢ケ浜親方は「絶対に関取に戻る」と明言していた。
しっかり休んで、ひざのケガ、そして何よりも病気を完治させることが一番。とリハビリと治療に専念させた。
陥落前の照ノ富士の身体には赤い斑点のようなものがいっぱいできていたのを記憶している。相当悪かったのだろう。
 しかし現在の照ノ富士の身体は実に綺麗。

もう一人、照ノ富士復活の原動力になったのは奥様の「ツェグメド・ドルジハンド」さんだ。
照ノ富士が関取から陥落して、幕下に落ち給料が無くなってしまった時も「いざとなったら私があなたを食べさせる
と心強い言葉で励まし続けたという。

素晴らしい復活劇のうらには血と涙の結晶があるようだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?