大相撲力士の親として③負けた相手
月日は流れ、親方からの御誘いをお断りして、5年の月日がたったころ、息子はせっかく入学した東京の大学を3年で中退して帰ってきてしまった。
理由はさておき、何も手がつかない日々を送る。
「車の運転免許でも取りに行ったらどう?」妻の助言で自動車学校に通うものの今一つ身が入らない。
仮免許の学科試験は8回目でやっと通る始末。
免許を取り終わって「就職活動を・・」と勧めても、本人はいまいちピンとこない様子。
仕方ないので家業を手伝わせていたのだが・・・・・
そんな息子が、奇数月の中旬頃になると、仕事を抜けだしてテレビに集中、昼の1時からBSチャンネルで放送されていた「大相撲中継」を夕方6時までしっかり観戦するのだった。
ここ数か月、落ち込んでいた息子の目が相撲中継を見るときだけは輝いていた。
特に息子の目が輝く時間帯は15時から16時ごろ。この時間帯は「十両」の取り組みの時間帯。よほどの好角家(大相撲ファンの中でも熱心な人をこう呼ぶ)でもなければあまり関心を持たない時間帯。
私が、息子に声をかけようとテレビの前にいくと、息子はこうつぶやいていた。
「やっぱり強かったんや・・・」
「なあ、言わんこっちゃない」という表情で私を見る。
そのテレビの画面には「佐藤」という力士。十両に上がって間のない若い力士。
「ウー・・・」私は少しためらったのちに思い出した。
「そうか、中学3年の時、近畿大会で負かされた一年生の子やな」
この時の「佐藤」は高校卒業後、1年数か月の短期間で十両昇進し、関取の地位に上がっていた。
この力士こそ今を時めく大関「貴景勝」。
その後の取り組み、もう一人の関取の一番、息子は苦笑しながら、
「こっちも・・・」と画面を指さした。
画面には「阿武咲」(おうのしょう)という力士が土俵に立っていた。
再び私は「なるほど・・・」
阿武咲は都道府県大会の一回戦で息子が敗戦を食らわされた一年生だった。
彼も18歳5か月の若さで「関取昇進」を果たした実力者。
続けざまに大きな大会で一年生に負けてしまってお互いにへこんでしまっていた5年前のことを思い出す。
覚悟を決めた角界入り
こうなってくると、本人は「もう一度挑戦したい」
メラメラと闘志を燃やし始めた。
全く気力がなかった数日前とは違い、トレーニングを自分で始めた。
私自身も、5年前の進路決定に後悔はしていなかったが、
これ以上息子の気持ちを迷わせる事は出来なかった。
「もう十分やんか」
妻の「大相撲入り反対」に対して息子と二人で説得した。
こうして彼は2016年春場所から大相撲の世界に飛び込むことになった。
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