絶望とトワイライト
9月8日49日目。
今日は28度。こんなに残暑が続く夏は記憶になく、暑さに弱いひだりうえの民たちの悲鳴が聴こえてくるようだ。それでも、もうすぐ訪れる白い世界のことを考えると、暑い日がもう少し続いてくれたら、と願ってやまない。
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割と「絶望」は身近にある。大きな事象で感じるというよりも、普段何気なく起きた、考えた、そんな小さな出来事でふぅっと脳裏に絶望の二文字が思い浮かぶことがある。誰かにとっての絶望と、自分にとっての絶望はおそらく違うのだろうけれど、絶望へのハードルはきっと、低い。
調べてみると、そんなに思い描いていたほど悪いことではなかった。もともと希望や望みを強く胸に抱いて、動いていくような生き方をしていない。目の前にある障害物をのけてみたり、近くに落ちている楽しげなものを拾って磨いてみるようなことが今につながっている。
絶望は決して大きなものではなく、日常にたくさん転がっている。そんな日常の中でちいさな喜びや発見を繰り返して、おだやかな心を持ち続けること。絶望は解消できるものではなくて、共存していくもの。
今日の一枚。夜更かしがつづく目にやさしいトワイライト。
海に沈む夕陽を眺める、ということがちいさな喜びのひとつであり、切り離せない日常の一欠片。
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