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【21世紀の落語入門】 書評#23

みなさん、いつもお世話になっております!
本日も、私の投稿の軸とする一つ「本」に関する第23弾を書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

こちらは、なかなかマニアックな1冊ということになるでしょうか。

みなさんは、落語に興味はありますか?
落語とはどんな世界なのか、そしてこの作品はどういったものなのか、少し書いてみたいと思います。

※書影(画像)は、版元ドットコム様から頂戴しています。ありがとうございます!


基本情報

小谷野.敦(著)
幻冬社 出版
2012年5月30日 第1刷発行

私が本書に出会うきっかけ

昨年のことだっただろうか、一昨年だっただろうか。
これまでの生き方に少し変化を付けようと、それまで趣味として続けてきたスポーツを全て辞めてみた。
新しい世界、生き方を見つけにいこうと思っていた。

そこで、この先やりたいこと、これまでの人生でまだ経験していないことを書き出してみたことがある。
書いたもの自体は無くしてしまったのだが、そこに「落語」を書いた記憶がある。

子どもの頃から笑点を見ていた。いまだに録画してみている。
だから落語という言葉はよく聞いていたのだが、実際に落語を見たことはなかった。
笑点は、いわゆる大喜利番組であり、落語番組ではない。

ある日クラスメイトから、衝撃的なニュースが投稿された。
なんと、私の住む地域の近くで落語をやるということ!!

そのクラスメイトとは、比較的最近SNS上で再会した。
実に20年ぶりの出会い。
しかも、落語の情報がもたらされるとはっ!!

二重の喜びがあり、勇気を出して申し込むことにした。

でもその後、ふと思った。
「無防備/無知識で落語に行っていいのか」
「何かしらのお作法みたいなものはないのだろうか」

長くはなったが、これを解決すべく、落語と題するものの中から選び抜いて本書を手にした。

この本の本質・言いたいこと

誤解があるのかもしれないが、私の感覚を書くとするならば、
・「落語は寄席(よせ)に行け」とよく言われるがそれは間違い
・初心者はまず名人の録音を聞くことから始めよ

ということを著者は言いたいのではなかろうか。

えっ!!?

私は超初心者なのに、いきなり生で観にいこうとしている・・・
しかも、著者がおもしろいと思い貸したテープが、「つまらん」と返ってきたというエピソードがよく出てきた。

私は落語というものを楽しめるのか、そもそも理解できるのか。
とてつもない不安に襲われた。。。

私が感じたこと

1点目 〜落語における”古典”とは

P34にあったのだが、要するに落語における古典とは、昭和の時代に整えられたものであり、その後出てくる作品、いわゆる「新作」と対比させるために「古典」と称しているとのこと。
文学の世界でいう「古典」とは性質が異なる、実は比較的最近確立されたということがとても意外だった。

しかし、実際にネタを聞かせてもらうと、なんだか腑に落ちた。
確かに歌舞伎や能などとは全く言葉遣いが違う。
言葉や考え方が現在と大差なく、とにかくわかりやすかったのだ。

2点目 〜著者の”芸術”観

P57から「全盛期を過ぎた藝術の宿命」という項がある。
芸術全般の”現代”と”古典”を比較しながら、
ピークを超えた芸術分野の現在を「盛者必衰」とか「延命措置」と表現している。

要するに、ピークを過ぎると、なかなか過去の素晴らしい作品を超えることは難しくなってくるということを言い表していると思うのだが、今を生きるものとして、かなり手厳しい指摘と思いつつも、主張としては実に的確な見方であると感じる。

3点目 〜著者の性格?

上記の手厳しい指摘もそうなのだが、とにかく本書のいたる所で
「これは好き」「これは嫌い」「これは間違い」
究極は、「寄席に行かなくても良い」とまで言い切っている。

M1グランプリの審査員を務める、立川志らく氏。
彼は、笑点をかつてそうとうに批判していたようだ。
しかし、圓楽さんが病気になり笑点に出ることができなくなった時、代理で登場した。
その際に「本当は好き」と言っていた記憶がある。

落語家というものは、主張を極端にしなければならないのだろうかw
それとも、江戸っ子の気質なのだろうかw
落語家全員がそうではないし、上方もあるからこれらは一概に言えないのだが、何だか面白い世界/業界だなぁと思う。

もっとも、著者は落語家ではないようだがw

4点目 〜著者の教養の深さとやさしさ

時折、落語ネタのあらすじを教えてくれる。
恐らく上記の主張からみて古典中心ということになっている。
素人にはなかなか難しいが、しかし、大変参考になる内容となっている。

意外に、歌舞伎の話も多い。
著者は、こちらにもかなり精通しているだろう。
実は、歌舞伎も私の経験してみたいことの一つであり、思わぬ副産物として知識を得ることができた。

P191以降の「おわりに」の部分。
最終章のこの部分では、「入門」とはどういうことを指すのかという著者の考え方が記され、締めくくられていた。
ここにも著者の思考の深さが表現されていて、とても面白い。

上述してきた著者の「寄席は行かなくて良い」という考え方。
これには実は背景/理由がある。
それは、「地方の人は頻繁に行けない」ということがある。
田舎に住むものとしては、なんだかとても嬉しいというか、私たちのような者にも視線を向けてくれている感じがした。
主張/言い方は厳しいが、実は温かみが言葉の後ろに隠れている、というか隠している?
この点に、私は著者のやさしさを感じた。

むすびに(本質中の本質)

本書を読み、かつタイトルを改めて振り返ってみると、
『温故知新』
これが著者が本書で伝えたい本質中の本質なのではないかだろうか。

古きを知らなければ、新しきを比較/検討できない。
古きがあるから、新しきが生まれている。
新しきばかりでなく、古きも見つめよ!

そう教えられた気がした、


余談(立川志のぽんさん)

今回落語を生で聞かせていただいたのは、立川志のぽんさん。
立川志の輔さんのお弟子さんです。

ネタの間に落語の歴史や立川流の話など、とても参考になる情報を面白く教えてくれた。
これらの話の理解を促進してくれたのが本書でした。
「本書に書いてあったな」と思う瞬間がいくつもあったのです。

志のぽんさんに聞かせていただいたネタは、素人すぎてタイトルを記憶できていないが、
・親子で酔っ払って喧嘩している話
・浅草寺近くの現存する巨大絵馬を描いた人の話
・小銭が雛人形の剣の鍔のように見える子どもの話
などなど、どれも初心者でも十分わかりやすく面白い内容でした。

すっかり私は落語と志のぽんさんのファンになりました!
今後も志のぽんさんに注目していくのと同時に、他の落語家さんへも興味を広げていきたいし、本書で学んだ”古典落語”や”昔の名人のネタ”についても注目していきたいと思います。

著者、志のぽんさん、そしてクラスメイトに感謝です!!

これを高座と言うのでしょうか。

本日も、誠にありがとうございました!

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