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【現代語訳 論語と算盤】 書評#5

みなさん、大変お疲れ様です!
本日も、私の投稿の軸とする一つ「本」に関する第5弾を書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思います。
まだまだ不慣れで、手探り感が拭えませんが、何卒よろしくお願いします。

本書も多くの方が読まれていると思いますし、note内でも多くの方がこの本について触れられていらっしゃいます。
書くかどうか悩みましたが、せっかく読んだので書かせていただきます!
※書影(画像)は、版元ドットコム様から頂戴しています。ありがとうございます!


基本情報

渋沢 栄一(本文著), 守屋 淳(翻訳) 
筑摩書房 出版
2010年2月10日 第1刷発行

私が本書に出会うきっかけ

本書の場合、二つのきっかけがあります。

渋沢栄一との出会い

渋沢栄一を読もうと思ったのは、娘がきっかけ。
樋口一葉の伝記を読んだらしく、私に色々と感想を述べ、かつ、質問をしてきた。
全くわからなかった。。。
それが悔しくて、「よし、俺は一万円札の人を読もう!!!」
という単純な発想から、先に福沢諭吉の『学問のすすめ』を読んだ。
その後、渋沢栄一を何冊か読んだ。

論語との出会い

論語との出会いは定かでないが、中学か高校の教科書に出てきたことがおそらく最初だと思う。
目にしたのは、「吾十有五にして学に志す」(われじゅうゆうごにしてがくにこころざす)のくだり。為政四だろうか。
ある時ふと思い出し、「自分は今、孔子の言う状態に辿り着いているのか」と思い至る。

これ以来、論語関係も何冊か読んでいるのだが、渋沢栄一と論語という私の関心事が一冊になっていることから、手が自然と本に吸い寄せされたと言える。

この本の本質・言いたいこと

本書は、今から100年以上も前の1916年に書かれたものが元になっている。原文も少しみて見てみたが、やはり当時の文調はとても難しいため、訳者が現代語で読みやすく書いてくれたものである。
著者は実学として、あるいは自分の人生のバイブルとして論語を捉えていて、本書を通じて著者自身の論語というフィルターを通した物事(ビジネス以外にも家族感など)の見方/考え方を示すものとなっている。

つまり、当時の著者本人の言葉で、著者が考える『生き方』を伝えるというものだと私は読み取った。

私が感じたこと

大きく3点印象に残っている。

1点目 〜論語の捉え方の差

福沢諭吉と著者。
これら一万円札にもなろう方々の著書(「学問のすすめ」と本書)に共通して話題に上がっているのが、『論語』である。
福沢諭吉は、論語を単なる座学だとしてあまり尊重していないように思われる一方、著者は先述のとおり実学として、人生のバイブルとして捉える。

私の記憶では、二人は実際に会ったことがあり、似たような時代を生きてきた(幕末から明治まで)。大変な時期に大変なことに取組んできたお二人である。

生きた時代背景も同じ、大変なことを成し遂げてきたという点でも同じ二人の、論語に対する表現の違いがとても面白いと感じた。

私の勝手な想像だが、福沢諭吉は論語を「朱子学」的に捉え、著者は「陽明学」的に捉えているのだろうか。
両学問の源流は論語であり、お二方とも実際に行動しまくっているから、あまり違いを感じない。どっちもすごい!

2点目 〜論語の良さの再確認

論語は、儒教を体系建てた重要な書物の一つ。
「論語=偏った悪い思想・宗教」というイメージがある方ももしかしたらいるかもしれない。
しかし私は、必ずしもそう思っていない。
むしろ、2000年以上の時を経た今でも語り継がれているという面では、現代においても、現代人の生き方にとっても、示唆に富むものであると考えている。
つまり本書は、現代においても全く色褪せない、忘れてはいけない生き方を伝える「備忘録」なのかもしれない。

私は改めて、この点に論語の素晴らしさを感じているのだろうと認識させられる。まだまだ勉強中ではあるのだが。

3点目 〜「趣味」の捉え方

本書の中で私が最も衝撃を受けたのは、「趣味」の考え方である。
英語で「hobby」。「道楽」とも訳すことができるだろうか。
どちらかといえば、仕事外においてその個人が楽しみとするところと捉えることが一般的ではないだろうか。
しかし、渋沢は全く異なる解釈をしている。
なんと、仕事の内にも趣味があると言うのである。

ワークライフバランスが叫ばれる昨今、これを衝撃と言わずに何と言うのだろうか・・・
しかし一方で、ワークライフバランスに悩む方にとっては朗報かもしれない。

むすびに

ストレスフルな私たち現代人。
本書は、心の安らぎと漲るパワーをもらうことができる。
そこから自分らしい『生き方』が見えてくるのではないだろうか。
少なくとも私は、それを得た一人である。

余談

noteで書く以前から、別のSNSで週2回ほど読書感想的なことを書いてきた。本書は、その第1弾だった。
ある程度それから引用して書いたのだが、当時私が感じていた私の考え方や関心事を公開することに対する気恥ずかしさがわずかに蘇ってきた。
そして、改めて読んでみると、文章もぐちゃぐちゃで整理するのに少し手間取った。まぁ、ぐちゃぐちゃなのは今も変わらないが(汗

何が言いたいかというと、
そんなこんなの過去があったからこそ、これから少しずつ成長していきたい!
そんな自身の気持ちを再確認したということ。

まだまだ勉強中の身。
孔子的に言うと「不惑」にはまだまだ程遠い。
誤った解釈などがあれば、優しくフィードバックしていただきたい。

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