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島暮らし 0.0

移住前夜、東京シックネス

島への引越しを控えた3月。マリッジでもマタニティでも来なかった、まさかの移住ブルーがおそう。家を買う(=定住)行為をしたためか、子を持ってしまったからか、本当にこれでよかったのかという思いがグッと押し寄せる。ときは桜の頃、あぁこの家に引っ越してきて初めて八幡さんの桜並木をみて感動したな、あぁこの桜は今年で見納めか、などと様々な感傷が胸をよぎる。

ママパパ友、保育園友達について

同じ保育園に子供を通わせているという共通項だけで出会った友達(そういう意味では酒が好きという共通項だけの友達もいるが)。雨の日にも雪の日にも6年間同じ園に送り届けて、ようやく職業を聞いたのが卒園後というパパや、なんども一緒に家飲みしていたのに社名聞いたのが卒園後というママも、思い返せばなんとも不器用な大人の親交。怒涛の卒園行事を経て、やっと連帯感ができた頃には既に別れの時。

子供は子供で、1歳半からずっと1日10時間を週5日過ごしてきて、最早兄弟。オムツからパンツへ、節分に鬼が来ても泣かなくなり、歯も乳歯から生え変わり始め、その時間を共に成長したのに。お泊まり会を頻繁にするようになったのは、卒園間近になってから。ずっと変わらないと思っていた日常の総まとめの様な日々が続いた。

「なんでママは大島に行くことにしたの?」と何度も聞くようになった息子に私の胸も痛む。

ようやく心の整理らしきものかついたのは、卒園式の後のこと。難しかった息子の子育てをいつも見守ってくださった副園長先生と、乳児時代、年中、年長と担任だった先生の退職の知らせを聞き、「別れは自分で決めなくてもやって来るんだなぁ」とやっと思えるようになった。

そして、島に行こうが東京にいようが、子供達はみんなバラバラの小学校に行くという事実に気づく。同じ園の子が多くて3人と、ほとんどの子がクラスに知り合いがいない状態でスタートする。

この頃、岡崎体育の「キミの冒険」が子供達の間で流行った。

最後に会ったときよりずいぶん背が伸びたね。だけど笑顔は昔からずっと一緒、相変わらずでいいや。天文台から見た星たちが光る。あの日の夜を思い出すよ。
辛いときには笑って、嬉しいときには泣いて

「朝これを聞いてから学童に行ってるんだ」というママ友の話を聞いて、みんな同じに不安なんだと、半年経った今でも泣ける。

便利な暮らしとの別れ

東京暮らしとの別れで私的一大事、それは空調。しばらくは借家住まい。寒がりの私が東京の家で愛して止まなかった床暖房との別れ。。。半年後の今(10月)も、初秋を迎え家の建つ気配もなく、床暖なく冬を乗り越えられるか不安が募る。

東京の我が家は、私が望むうえで最高の立地だった(都心の高層マンションとかは興味ないので)。好みのワインを出す店が数軒あり、チーズを最高に熟成させてくれる店もあり、ヨガも行こうと思えばすぐに行けた。とはいえ、島に行ってもワインはネットで手に入るし、チーズもハードルは上がるけど何とかなる。ヨガは行く道中もトレーニングと思い、自転車で1時間かけて通えば良い。

不自由さすら楽しみに、私は島に行くことにした(強がりである)。

友とは別れないという実感

色々な感傷が胸をよぎるものの、一周回って「やっぱりまた会えるよね、せまいよニッポン」に行き着く。何度かお別れパーティをして頂いたものの、蓋を開けるとまた会う仲間ばかり。私も東京に行くし、友達も島に来る。どこか違うキャンプ場で会ってもよいし、一緒に旅行してもよい。会おうという気持ちと、動く力さえあれば、きっと会えるのだ。

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そうは言ってもメランコリックな船出

家を建てるにあたって(ローンを借りるにあたって)、日本は会社員しばりということもあり、夫を東京に残し息子と二人で先にしまなみに向かうことに決めてあった。なぜこの時期かというと、小学校入学に合わせたかったから。

そうしたこともあって、当面の家財道具と車を積んでのフェリーは、息子にとって初めての寂しさでいっぱいの旅。この道中一粒の涙目も溢さなかった息子。島の前に立ち寄った高知の実家で、「東京がいい」と布団から天井を見上げた目が黒く光っていたことを母は忘れないだろう。その後しばらくは東京に行った帰り、島に来た友達が帰ったあと、度々涙することとなる。それも成長と思えるのはあと三ヶ月経ってからのこと。

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