お国自慢

第零部:論者の素性

今からする話を、誰がどういう立場からしているのかを知っていただきたい。
私は京都大学で10以上の言語を学んだものである。読者諸兄の周りにもそういう人が幾人かいるのではないかと思うが、在学中の半分ほどの時間は、留学生の友人たちとバカ騒ぎして遊んでいたような人物である。実際留学もしていたせいか半分帰国子女のようになって、日本の風習に馴染めない感覚を覚え始めている。日本の外からの視点を獲得したためといっても良かろう。


第一部:つまらない結論、ありきたりな主張

愛国的な他国民に対してネガティブな感情を抱くくらいなら、日本人も素直に力強くお国自慢すべきである。そのためには、日本の良さを真剣に勉強する必要がある。

第二部:結論に至るまでの多少は滋味あるおしゃべり

国内だろうと国際だろうと、お国自慢は黙って聞いておくのが無難だが、時には沽券に関わる衝突もあるため、議論が避けられない部分もある。

例えば日本や中国では韓国起源説に対して苛烈な批判がある。韓国起源説とは、刺身や中国王朝など、他国の様々な事物の起源が韓国及び朝鮮半島にあるとするもので、これらは嘘であるばかりか、手柄の横取りなので問題になるわけである。

日本人は、お国自慢といえば浅ましいものと思っている。最近は開き直って、素直に自国の良さを見直し、発信していこうという向きもあるが、古くから謙遜を美徳とし、戦後は自虐に陥りがちであり、あまり愛国心を露わにすると右翼と思われて危険視されたり、あるいは国際感覚に欠ける人としてお笑い草になったりする。

ところが、じゃあ愛国心がないのかというとそういうわけでもないらしい。もともと共同体とか、そのメンツを大事にする国民性であるとされるが、そういう意味ではかなり愛国心は強くてしかるべきだし、実際そういう人が多いと感じる。

ではその、抑圧された愛国心はどこへ行くのかというと、外向的な愛国心丸出しの他国への羨望と軽蔑に変換される。アメリカ人が星条旗に並々ならぬ誇りを持ち、なおかつそれを様々なもののデザインにしたりしているのを見て、冷笑、或いは苦笑しながら、ああやっぱりアメリカ人はアメリカ人だな、とか、我々謙虚さを美徳とする日本人は彼らとはうまくやっていけないな、みたいなネガティブな発想に逃げたり、影で内輪で「まあ、本当はうちの方がすごいんだけどね」などとささやきあうような浅ましいことになる。

これはしかし建設的ではない。現状として、他国の手柄まで横取りして自分の国の誇りとしようとする国々があったり、過去の悲劇の責任を全て他国に押しつけようとする国々があり、独り善がりな謙虚さに拘る日本、即ち他国からしたら単なる腑抜けに過ぎない日本がそういう国々の餌食になっている現状に鑑みるに、日本人も国外に向けては堂々と振る舞う必要がある。戦争に負け、「ああもうだめだ、我々は地上の恥、宇宙の雑魚、過去にはすごいことをしたりなんか作ったりしたことあったかもしれないけど、そんなの帳消しになるくらい今はポンコツ」と思っているなら良いが、本当は誇りを失っていないくせにうじうじしているのは不健康である。

さて、でははっきりと清明心を以て偽り無き愛国心を表明するためにはどうすればよいのか。

まず、漠然と訳も分からず愛国だけしているような者どもは軽蔑されて当然である。俺は俺だから偉いんだ、日本は日本だから最高なんだ!というのは理屈ではない。ネトウヨなどとひとからげにされて電脳の闇に葬り去られるのが関の山であろう。

つまり、まず、愛国心を示すなら何かしら根拠があるはずで、それを明確にし、言語化できなければならない。お国自慢においては、しばしば利害対立が生じる。甲という物は我が国で生まれた、いや我が国が最初だ、というような議論が起こることは想像に難くない。その際に、証拠を提示する必要がある。ここで


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この原稿はここで終わっていたが、ここまでの内容はそう悪くないので一度公開しておく。

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