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17cオランダとレンズ

 今日のAIについてはもう皆さん騒ぎ疲れていらっしゃるかもしれません。
 私自身AIに手伝ってもらいながら作品制作をするようになり、日々その仕事のインパクトに驚いているところです。(画像→画像生成)
 Twitterや仲間の話を聞いていると2023年に入ってからのChatGPTの精度の上がり方はものすごいらしく、思想-哲学にも大きな影響を与えるでしょう。(文字→文字生成)

 テクノロジーの発展を目の当たりにするたびに、"これは時代を変える"のような言葉が登場し、興奮して胸が躍ったり、あるいは時代に追い付かなきゃと焦ったり。
 私は1991年生まれなので、インターネットの黎明期にどれほどの騒ぎになっていたのかは記憶としては持っていませんが、iphone(スマホ)の普及やSNSの登場はそういうたぐいの騒がれ方だったと記憶しています。

 これから起こることを変に予想して騒いだり、不安になったり、焦ったりしているとポジティブにもネガティブにも無駄にエネルギーを使うことになり疲れたりしますね。
 こういう時は過去を見つけてきて、ロマンチックに解釈して妄想するくらいがちょうどいい。強引な前書きになりましたが、少々、私の妄想にお付き合いいただければ。
 現代のAIについて俯瞰的に考えてみたり。
 あるいはこの際AIについて一度棚上げにして、フェルメールやレンブラントの絵画を楽しみなおしたり、デカルトやスピノザやライプニッツの思想に触れるきっかけになったり、レーウェンフックのマネをして顕微鏡が覗きたくなったりするかもしれません。

 17世紀のオランダで何故、上にあげたような芸術家たち、思想家たち、科学者たちが世界史的にも特異な業績を小さな国の中でバシバシ成し遂げることが可能だったのか。
 海運や金融の成功という教科書的なお話はWikipedeaを参照していただくとして 🔻

 今回ここでお話ししたいのはテクノロジーとしてのレンズについてです。
レーウェンフックが顕微鏡を覗いて微生物を発見したかと思えば、隣でフェルメールは精密な絵画を描き、スピノザとライプニッツは書簡でレンズについて議論した。
 
 レーウェンフックとフェルメール🔻
福岡伸一 爆笑問題の日曜サンデー
デルフト(オランダの街)でレーウェンフックとフェルメールは友達だったんじゃないかっていうお話ですね。

スピノザとライプニッツの書簡🔻
國分功一郎 『スピノザ ー読む人の肖像』
p.14-15 でライプニッツとスピノザの書簡、レンズについて。

ちなみに、
レーウェンフック(1632/10/24生まれ)
フェルメール(1632/10/31生まれ)
スピノザ(1632\11\24生まれ)
みな同級生!!そしてオランダで活動しているわけです。

 現代の感覚からすれば、「レンズなんて大した技術じゃないでしょ。大騒ぎしないでよ。」といったところですが。
 まぁレーウェンフック先生は微生物や精子の発見という顕微鏡がマストな業績ですから当たり前にして、スピノザ先生の"Deus seu Natura: God or Nature: 神即自然"(注1)も、ライプニッツ先生の"モナドロジー"も、フェルメール先生やレンブラント先生の絵画も。
 人間がそれまで知覚する機会のなかった、小さな世界、ミクロな世界と出会わずして生まれることができたでしょうか。
(注1: 私はこの日本語訳が分かりづらくてどーも苦手です。"神あるいは自然"くらいの訳の方が分かりやすいのではないかと思います。)

 さぁ現代に返ってくると。
 これから400年後の若造が、2023年の今を振り返って妄想するときに注目するのは、"インターネット"なのか、"スマホとSNS"なのか、あるいは"AI"なのか。
 あるいは400年前の先生たちが感動していたのは、"海運業と金融業の発展"だったのか、"顕微鏡"だったのか、それとも"レンズ"それ自体だったのか。
 こうやって考えてみると取るに足りないことのような気もします。
 きっと当時の彼らもいちいち「これがこの時代の科学-芸術-哲学の土台となった革命的な技術だ!」なんて思ってたかどうかは怪しいですよね。
 妄想にお付き合いいただいて、落ちが下手で申し訳ありません。
 ただ17cオランダにはレンズがあった。それ以上でも以下でもなく。
 そして、素晴らしい芸術や思想、科学が発展した。

レンブラント・ファン・レイン 『夜警』  1642年


ヨハネス・フェルメール 『牛乳を注ぐ女』 1660頃


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