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運・縁・勘

 親しい人の間で、私の代名詞のようになっているこのことば。
これが生まれたいきさつも、かなりの「うんえんかん」でした。
2006年4月、国・県・市・学校の仕事も交流も突然全部投げ
仙台の実家で鬱っていた3ヶ月目のある日
「私に必要なのは、この3つだけかも」と思いついたのでした。


ボーっとしてても、不思議な出会いやできごとが降ってくる。
「フォレスト・ガンプみたい」と言われるのはいい方で
「気持ち悪い」とも何度も言われ
逆にその財産があれば0からでもやっていけるなと
辞書で引いて当て字を探し、「雲煙館」うんえんかん
と名付けたblogに、引きこもり記録も始めました。

その1週間後、引きこもり中に唯一キャンセルしなかった
気仙沼での仕事(ツバル体験を小学生に伝える)に行った際
気仙沼のおじが、知り合いの場所だと連れて行ってくれたのが・・・

「煙雲館(えんうんかん)」!!
国文学者、落合直文の生家というその館の主にも
「それはなんともご縁ですね。blog読みたいです」
と言われ、やはりこっちでいいんだな、と確認した次第。

翌月、心配した高校の恩師が招いてくれた蔵王の山荘で
「流れに浮かぶ旅人でいよう」と思いつき
wwoofという制度を見つけ、世界中のリストから選んで
栗駒高原の自然学校にリハビリを兼ねて行ってみたらば
鳥肌ものの再会や、後の親友たちとの出会いがどかどか降ってきて
もはや降参、と思いました。(降参=「降ってきて参る」!)

どんなに落ちようが上がろうが、得ようがなくそうが、
運縁勘を司るだれかor何かがちょっと指を動かしただけで
全部ひっくり返る
だったら小細工はあきらめてそっち側の手下でいようと
算数や社会をあきらめ方向の十数年でありました。

一首(?)

だれなのか何なのか 知らなくたって 恩恵ありあり



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