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小坂忠さんとマルタな自分

小坂忠さんが亡くなった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2716f9985ce3b2d585f76921e12742f530dd9ebc

彼の後ろで夫がドラムを叩いた日、女中魂でバタバタ動かず
全身で聴けばよかった、これが後悔。

翌日、ギックリ腰になったけどヨボヨボしながらも
教会での演奏に参加して雑談ができたこと、これが満足。
(後悔、の反対語はないそうな)

気仙沼で忠さんライブ(夫ドラムで)企画があった
という言葉を聞いて、叶わなかったことの大きさに打たれる。

人生とか一期一会の質量を感じるのはこういう時。
また今度、とかもう一度、が本当にないと知る時。
自分も 誰かも 明日はいないかもしれない。

(以前
 近くで、無料で、長期間行っていた、とても手間のかかる展示への
「行けなかった〜。またやって!」というコメントを見て
 ???!!!となった。反面教師にしよう。)


聖書の、マリアとマルタの話が浮かんだ。

さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

ルカによる福音書10章

ぼーっと生きてないか?大事なものを雑に扱ってないか?
どっちが大事か、ちゃんと選んでる?

牧師でもあった忠さんの歌を聴きながら、それを問うている。

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