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北限の樟脳、坂本龍一、掘り出した故郷と自分



今年3度目の実家・仙台に行った。
3年間、行こうともあまり思わなかったのに。

高校の恩師のサロンでの集まりと
那須の友・RARIさんの展示が初・仙台であるのと
実家の庭の花を引き取りに行くのと

3つ重なってgo。

RARIさんの展示で待ち合わせたのが早苗さん。

電気ガスもない初期の我が家@森に
2才〜90才の4代で泊りに来たチャレンジャー。
次男・M君の高校での担任が私、
彼に謝りに家に行ったのがきっかけで、
本人そっちのけで母の早苗さん&弟君とつながって30年。
自宅で、人気の料理教室をされている。

元・生徒にして師匠であるM君のこと、いつか書きたし。

場所と時間をあれこれと超えてつながった。
去年は、やはりRARIさんの展示をきっかけに
二宮、茅ヶ崎ツアーをしたのだった。

私のものがたりにRARIさんがイラストを描いてくれたのが
こちら↓

手売りのみ、¥800円


すごいおまけは
会場が、輪王寺の近くであったこと。
従兄弟と叔父のお墓がある。
数年ぶりに墓参りをし、
寺の真ん前、叔母が昔営んでいた陶器店の場所に住む
従姉妹(亡くなった従兄弟の姉)に何十年ぶりに会った。

https://note.com/inaho829/n/ndb289cdef6c1

墓石の、従兄弟の享年21才、の隣りに叔父98才が去年並んだ。

家守綺譚を読んで以来、従兄弟や叔父が何度も生活に登場する理由が
鈍い私はまだわからない。

お墓の前、北限の樟脳の木。
「大正時代、叔父の祖父が東大卒業記念に台湾から苗を
 取り寄せてここに植え、10年間手厚く守ったら銘木になった」
なぜこの木?なぜ台湾?なぜ輪王寺?
生前に叔父に聞きたかった。

子供の頃から見ていたプレートの解説の意味が、やっとわかった



実家の夜。テレビで「続・男はつらいよ」鑑賞。
皆、若い。そしてこの中の何人も、もうこの世にいない。

先日、坂本龍一氏の訃報でやっと、人が死ぬことを実感した。
私にとって最も「栄華を極めた」存在なのかもしれない。
藤原道長も徳川家康も夏目漱石もマイケルジャクソンも
こんなふうに一人ずつ、本当に、死んで
動かなくなった身体は空気に放たれるのだな。

作品が残る。
坂本氏や高橋幸宏氏、関わった音楽家が次々に亡くなる昨今
夫はそれを実感している。

木が残った。
叔父の祖父は、将来自分がそこに眠ることを、
大学生の時、想像していたのだろうか?

翌朝、実家の庭の花をたくさん、掘って車に乗せる。

西公園、恩師のサロンへ。叔父&従兄弟の家の隣り。
https://note.com/inaho829/n/n8764bbd79756

ふらりといろんな人がやってきて、食べて話す。
フランス語教師と脳外科医のご夫婦、70代ピアノの先生、
カウンセラーさん、私と同じく、先生の元生徒の皆さん
70代の夫も共に、学生闘争の話で盛り上がる。
日本がそんなだったなんて、知らなかった。


下道で5時間、那須に戻る。
暗い中、積んできた植物を植える作業をする。

那須の庭の花の多くは、こうやって実家から来たが
今までは植えっぱなしで、枯れたらそれまで。
畑と苗を用意されても野菜を枯らしていた私がまさか
蒔いたり植えたりを楽しみに朝早く起きる人になるとは。

高校の時に「英語が話せない」→自力で「話せる」になった時を
よく思い出す。
今は、園芸スキルと美しい庭はずっと先にあるけど
毎日歩けば着くはず。

去年まで「人生50年間なかったことにしたい」と思っていたのが
あれはあれで良かったと解釈を変えたら
植物と面と向かう道が開け
仙台が近づいた。

夫との8年間の意味不明な戦争も終わり(hopefully)
平和のありがたさを噛み締めている。

新しい人生が始まった。

作る庭が死後も残るか、今は想像もできない。

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