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2019/7/03 「自省的雨」

 今日から明日にかけて、九州では災害級の豪雨だと言う。九州の出身である私は、実家の様子がどうなのか、またどうなるのか、少し心配だ。(事前に連絡して安全の確認はとれてるけど。)

 この時期に雨が降ると、去年のことを思い出す。西日本豪雨からもう一年が経つのだ。私の記憶では、4日ほど雨が続いていたと思う。少し足元が浸かるくらいには降っていた。

 その頃、授業のプレゼンに追われていた私は大学の食堂で友人らと資料作りをしていた。そんな時に休講のメール。「わぁ、ラッキー」なんてのんきに休日を楽しんでいたのだが、それが約一週間も続いた。高速道路が土砂崩れで通行止めとなり、電車は運休。私の交通手段は歩くか自転車、それとバス、電車。大学生の私は車なんて持っていない。この地域に一人、取り残されたのだ。交通が遮断されれば、食料などの運搬も途絶える。当然スーパーからは食材が減っていく。それでも止まない雨、雨、雨。さすがの私も不安になった。テレビでは連日被害の状況が報道された。私の地域も大変な被害であった。幸い、私の暮らす範囲には大きな影響はなかったが、それでも広島出身の友人なんかは家族や友のために車で駆け回り、食料や水を届けていた。私は、何もしなかった。できなかったとは言わない。しなかったのだ。怠惰、怠惰。

 このままだと自分の嫌な部分を話し続けそうなのでこのくらいにしておくが、この大雨に「西日本豪雨」という名がつけられ、私は「ああ、私被災したんだ」という感覚を味わった。これが被災か、と。別に被災したことがどうこうということではなく、こんなにも普遍的で色のないものかと感じたのだ。誰にでも起こる。それは「災害」としてやってくるのではなく、いつもの雨と同じ顔をしている。わたしはどこか甘く見ていた。雨は割と好きだった。雨の降る匂いや、音や、空の暗さにどこか惹かれるものを感じていた。しかし、雨からしたらそんなことは関係ないのだ。降るときは降る。おそらく私は酔っていたのだと思う。雨が好きな自分というものに。

 こんな時、ある人の言葉を思い出す。「君は、頑張っている自分が好きなんだろう」という言葉。私の世界の中心には、私しかいないのかもしれない。そんな自省的雨。ほどほどに降って、止んでくれればいいのだけれど。

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