「自分の中に他者がいない」という弱点。
40年以上も生きていると自分の弱点がはっきりしてきます。ぼくの場合は「自分の中に他者がいない」ということです。他者への好奇心はどちらかといえば強い方だと思いますが、それって観察対象であって同時存在ではないんですよね。自分の中に他者を同居させることがどうしてもできない。
それは家族であっても同じことで、基本的に誰も自分の中に入れない。自分の特徴ともいえるけれど、自分の中に他者を同居できている人を見ると自分は結果的に空っぽなんだなあ…と思います。今さら自己変革は難しいですが、何事も認識することからなので少しずつ変わっていきたいなあと思っています。
ある意味、心の歪みなんだと思うし、自分は歪んでいるだろうな…とは20代の頃から思っていたのですが、「自分の中に他者がいない」と言語化できたのは最近のことです。これでやっと足掛かりにできるから言語化って大切ですよね。自分のことすら全然わからないのに他者のことなんて何をか言わんや。
この特性が役に立つことがあるとしたら、人を観察するのが性に合っているという点です。BtoB企業のWeb活用支援において「ユーザーがどんなアクションをしたか/それはなぜか」と観察して考え、次の手を打つことには大いに役に立ちます。観察対象として好奇心があるので全然苦ではありません。わからないから知りたいと思うし。
でも、それって家族や職場や知人といった人間関係の場面ではちょっと違うんですよね。そもそも観察対象ではない。その線引きや相応しいアティチュードがぼくはほぼできない。
司馬遼太郎と堀田善衛が対談で「人間は度し難い」と頷き合ったそうですが 20年前にこの対談を初めて読んだとき、まるで自分に言われている気がしてドキッとしました。今でもドキッとします。人間は度し難いし、自分も度し難いんですよね。
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