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大人になれば 27『不思議な月・手ざわり・ヤルタ会談』

冬ですね。
実は一月だったりします。
なんかもうそんな気分全然ないけど。
だって最近すぐ一ヵ月終わっちゃうんだもん。

一月はちょっと不思議な月だった。
何て言えばいいんだろう。

たとえば北の果てから二十年前の古ぼけた手紙が届いた後に、期せずして南の海からエアメールが届いたような。
しかもその手紙は互いに何の関連性もないものなのに、ぼくに同じことをイメージさせる。

ひとつめは谷川俊太郎と波瀬満子の対談集『かっぱ、かっぱらったか?—ことばをあるく9000日』。

ちょうどフランステロ事件があって悶々としているときに読んでいたのだけど、谷川俊太郎の発言にこんな言葉があって、ふと足を止めた。

【鶴見俊輔さんのことばだったと思うんだけれど、「人間っていうのは、どうしても人生にいろんな意味を見つけたがる、意味を追求したがる。だけど、人生には意味だけがあるんじゃなくて、手ざわりというものがあるんだ」という言い方をされていて】
【鶴見さんのことばで「ノンセンスは存在の手触りをわれわれに教える」というのがあって、それをなるほどと思った記憶があります】

フランスでのテロをめぐって「表現の自由」「他者への尊厳」がネット上でも盛んに議論されていたのだけど、ぼくはどうしてもそこに実体があるように思えなかった。
言葉が交わされる程にそこにあるはずの「何か」からどんどんずれていくように感じて。まるで今のぼくたちは空っぽの箱の上に立っているみたいだと。

そんなときに出会った「手ざわり」という言葉はクッとぼくの中に入ってきた。それはもっと自分の近くにあるもので、さわれるもので、感じられるもののような。
二十年前の本からひとつの視点を教えてもらえたような気がして嬉しかった。それがひとつめ。

ふたつめは一月十七・十八日のネオンホールプロデュース演劇公演『ヤルタ会談』でした。

第二次世界大戦の終戦間際に開かれた米・英・ソ各首脳による秘密会談を辛辣なパロディに仕上げた平田オリザの戯曲を、アートひかりの仲田恭子さんがダブルキャストで二本の舞台に演出するという公演。

『ヤルタ会談』という戯曲そのものが楽しみなのに、ダブルキャストで演出も二本立てにするなんて。ドキドキしながら観に行きました。

そして観終わって一日経って、未だに「あれは何だったんだろう?」と考えている。

あれは何だったんだろう?
そこにあったのは徹底したポップさとフィクションで。

紋付き袴のアメリカ大統領、白鳥の湖のコスチュームをまとうロシア大統領、へなちょこヤンキー風のイギリス首相。
もう一方のチームは赤ん坊の衣装におしゃぶり、よだれかけ。ゴスロリ風の赤ん坊衣装にドル紙幣を貼りつけたベビー服。

舞台美術も卓袱台&畳という純和風に、別チームは小さな小さな幼児用椅子とすぐ物が落ちるテーブル。
歌舞伎のような見栄に、『巨人の星』のような卓袱台返し、赤ん坊口調の台詞に、散乱する哺乳瓶や玩具。

見た目と設定の要素に加えて、怒涛のようにのってくるのが演者たちのフィクショナライズされた演技で。
ポップなキャラクター化も、大人が幼児を演じる異様さも、磁場を発するような粘度の高い演技もフィクションの強度を上げるための原材料になっている。

会場へと上がるいつもの階段も赤いライトと秘密通路のような舞台美術。徹頭徹尾フィクションの渦。

フィクション、ポップ、フィクション。
フィクションの強度をどこまで上げられるか。
それはまるで『ヤルタ会談』という歴史的事項が持つ「そのものさ」からいかに遠い場所まで到達できるかを目指しているかのようで。

「ひとつの戯曲を異なる演出で」という趣向と思って観に行ったけれど、総合的には一つの作品だとぼくは思った。
役のポップなキャラクター化からフィクションを積み上げていく会談Aと、赤ん坊という異世界で執拗にフィクションを塗り重ねていく会談B。共に目指しているものは同じだ。

ぼくは振り返る。
いったい何を見たんだろう?

そこにはもう、いつかどこかで見た古めかしい写真に座る三人はいない。漠然と知っていたはずのルーズベルト、チャーチル、スターリンですらなく。
歴史の教科書でパラリと読んだ「かつてあった昔のこと」という意識をフィクションという消しゴムでごしごし消されたような。あるのはただ「起きた/起きること」。フィクションの力で漂白して漂泊して現れた「素材」そのもの。

あの舞台にあったのはいつかあったことだし、今もあることだし、いつかこれからのことでもある。
演出の仲田恭子さんは『ヤルタ会談』という歴史的・世界的楔をペラペラの一枚のペーパーにしてしまった。この世界を構成するちぎり絵の一片のように。

なんだこれは。
一日遅れでくらくらしています。


執筆:2015年1月20日

『大人になれば』について
このコラムは長野市ライブハウス『ネオンホール』のWebサイトで連載された『大人になれば』を再掲載しています。


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