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イヤホンが欲しい人でありつつ、イヤホンに興味がない人。

Bluetoothイヤホンを無くしてしまい、ネットであれこれ見ては悩んでます。ユーザーレビューも目を通したり。この数日のぼくのユーザー動向を見たら、確実にイヤホンが欲しい人です。でも、知ってるんです。いざ手に入ったら製品特徴なんてぼくは全く気にしないことを。レビューも関係ありません。

そもそもぼくはイヤホンに興味がない。音の違いなんて分からない。ラジオとか動画が聞ければいいんです。つまり、イヤホンが欲しいのではなく、「スマホでラジオや動画を聞きたい」がぼくのニーズな訳で。自分でもそれが分かっているのに、あれこれ製品レビューを見ては「どうしようかしら…」なんて悩んでいる。この悩みすらイヤホンが手に入ったら何も気にしないことも分かっているのに。

データ解析で見ればぼくは「イヤホンが欲しい人」で間違いないですが、それは実に瞬間的な人物像で。その正体は「イヤホンが欲しい人でありつつ、イヤホンに興味がない人」な訳です。矛盾を内包するからこそ人。

もっといえば、ぼくが欲しいのはBluetoothイヤホンですらなく、スマホのイヤホンジャックな訳ですが。スマホにイヤホンジャックがないからBluetoothイヤホンを使わざるを得ないだけで。

「人間は度し難い」と司馬遼太郎と堀田善衛が賛同し合ったエピソードが宮崎駿の文章にありますが、イヤホンひとつでこれですから。自分の心理すら分からないのに、他者のインサイトなんて分かる訳がない。できてせいぜい良い仮説です。ロジックで人を動かせる訳もなく。人間は度し難いですよね。


『時代の風音』宮崎駿のあとがきより引用

世界のゆらぎが私のいる小さな職場にも届いて、うかうかしているとただ流されるだけになってしまいそうです。道を乞う…などと書くと、おふたりに叱られそうですが、この混沌の時代に遭遇して正直な気持でした。
心情的左翼だった自分が、経済繁栄と社会主義国の没落で自動的に転向し、続出する理想のない現実主義者の仲間だけはなりたくありませんでした。自分がどこにいるのか、今この世界でどう選択して生きていくべきか、おふたりなら教えていただけると思いました。
(中略)
恥をかくというつもりはなかったのですが、残念なのは自分の力不足です。日頃、言葉の定義をあいまいにして来たむくいでもあります。もっとつっこむべき瞬間を、何度も私は逃しました。立ちどまって考えている間に、会話は次へ進んでいったりしました。
忘れられないのは、「人間は度し難い」と司馬さんがおっしゃった瞬間でした。堀田さんが坐りなおしつつ、「そうだ。人間は度し難い」 と応えたのです。大きな元気な声でした。
(中略)
私事で申し訳ありませんが、死んだ母のことを思い出していました。
「人間はしかたのないものだ」というのが彼女の口癖で、若い私と何度も激しくやりとりしたのです。戦後の文化人の変節について彼女が語るとき、不信のトゲは何かいたたまれないものがありました。
(中略)
もっと長いスタンスで、もっと遠くを見る目差しが欲しいとつくづく思います。

『時代の風音』(宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎)あとがき:宮崎駿、p270~272

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