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大人というカオス。共時的な様相。見るまえに跳べ。

大江健三郎さんが亡くなって、大学時代に『見るまえに跳べ』を読んだことを思い出した。内容はほとんど覚えていないのだけど、青年期特有の居心地の悪さが鬱々とした日々にずいぶんしっくりきた記憶がある。40代になって知ったのですが、少年期や青春期、青年期を経て大人になるんじゃないんですね。

それらは電車の風景のように通り過ぎるものではなく、全て固有のものとして残っている。消えないテトリスのように。ぼくは40代後半で自他共に認める大人でありおじさんですが、その中には少年期や青春期、青年期、中年期が積み重なっている。恋愛、結婚、育児、躁鬱も無くならずに折り重なっている。

ぼくたちは共時的な様相を積み重ねて生きている。そんな訳のわからないカオスな集合体を大人と呼ぶのかもしれないなあ…と思いました。だって、『見る前に跳べ』を読んだときの風呂なし木造アパートのあの寂寥感を今でも覚えているもの。それはまだそこにある。無くならない。


大江健三郎さんと伊丹十三

大江さんの初期の短編に漂う閉塞感からの脱出は今の若者が読んでも響くものがあると思います。また、大江さんが語る伊丹十三さんとの青春期の話が好きでした。『取り替え子』を一生懸命読んだ記憶があります。ご冥福をお祈りします。

伊丹十三ファンとしては幼い頃からの友人であり義弟でもある大江健三郎さんが亡くなったことは改めて寂しい。宮本信子さんにはいつまでもお元気でいてほしい。コロナも落ち着いたので松山の伊丹十三記念館にはぜひ行きたいです。「いつかそのうちを今やる」がコロナで得た教訓。


伊集院光のラジオ番組に出演した大江健三郎

伊集院光と大江健三郎とのラジオ番組でのトークがとてもいいです。表現とリアリティのこと、大江健三郎が執筆で大切にしていること、伊丹十三のこと、人生の師匠のこと、伊集院光が出演した伊丹作品のこと、大江健三郎が伊丹十三と交わした最後の会話などが語られています。

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