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メメント・モリとクリスマス

クリスマス。
なんだか特別な日。
いや、むしろ特別でないといけない日。
そんなことを思ってしまう日が年に数回訪れる。

クリスマスって恋人と過ごさないといけない
それができないと可哀想、負け組、余り物......
そんな風潮があると思う。

多分に漏れず、僕もクリスマスの度にヘコんでいた。
そんな僕だけど、このnoteを書いている今、いや昨日の晩寝る前からクリスマスを楽しみにしているのだ...!

そんな考えになったのは、ある二つの作品に出会ったからかもしれない。

戦場のメリークリスマス

キャッチーなタイトル、テーマ曲や名だたるキャスト陣などでなんとなく存在は知っていた映画。

舞台は太平洋戦争真っ只中のジャワ島。
その日本軍の捕虜収容所で起こる事件を通して、国や人種を超えた人間の繋がりが描かれている。
一つの映画の中で様々な要素・メッセージが入り混じっていて、観賞後も一言では言い表せられない複雑な気持ちになる。

その中でも印象的なシーンが二つある。

一つ目は、捕虜役のセリアズ(デイビッド・ボウイ)が収容所の所長のヨノイ(坂本龍一)を抱きしめるシーン。
彼には戦争に駆り立てることになった大きな後悔があった。
それ故に彼は命の危険を犯してでもある人を救おうとする。

二つ目は、独房にいたローレンス(トム・コンティ)とセリアズをハラ軍曹(ビートたけし)がクリスマスを理由に釈放するシーンだ。
ハラは国籍や価値観、立場は違えどローレンスに友情めいたものを感じていたのだろう。
そこで不条理に拘束され死を待つ運命にあるローレンス達を、クリスマスの日に酒に酔った勢い(あるいはフリをして)で上長の確認も取らず釈放してしまう。
自身を「ファーゼル・クリスマス」(サンタクロースの意)と言い、クリスマスプレゼントとしてローレンス達を釈放するのだ。
「メリークリスマス、Mr.ローレンス。メリークリスマス」と。

どちらのシーンにも常識や立場などを超えて人を救おうとする人間の姿が描かれている。
それも対立し合っている状況の中、自分の立ち位置や命を危険に晒してまでである。 
この二つのシーンに代表されるように、立場や状況、価値観が対立していても、一個人としての人間は他者を許し、救い、愛し、そして変わることができる、そんな風に思わされた。

クリスマスキャロル

こちらもタイトルだけは知っていた小説である。
読むまでは「クリスマスをモチーフにした児童文学?」くらいにしか思っていなかったのだが、読んでみると一転して普遍的なことについて書かれた物語であると思わされた。

物語の主人公は強欲で偏屈な金貸しのオッサン、スクルージ。
他者を顧みることなく自分の利益だけを考え、街の人々に忌み嫌われる存在。
そんな彼にもクリスマスがやってくる。
その晩彼の元に共同経営者であったマーレイの亡霊がやってくる。
彼は自身の後悔と憂いから、スクルージを諭すためにやってきたのだった。
そこからスクルージは自分の「過去・現在・未来」と向き合わされるのだった。

過去
夢(希望)のあったあの頃。
恋人や大事なひとを想う心を持っていたあの頃。
そして大きな後悔。

現在
自分が軽んじてきた他者に慎ましくもあたたかい家族の営みがあることを知る。
そんな彼らは自分があしらっていたのにも関わらず、スクルージへの想いを持っていた。

未来
そこには自らとある人物の死という悲しい光景が広がっていた。


過去、現在、未来を見たスクルージは自分のやってきたことを悔い改め、未来を変えるために行動を起こしていく。
そこには多くの人の笑顔と、それに囲まれたあたたかなクリスマスを過ごすスクルージの姿があった。

この物語から、どんな人物でも許され、過去に囚われていた自分を認めて変わることができる、そんなことを思わせてもらえた。


メメント・モリ

どちらの物語にも、後悔や挫折、人を許し救おうとして自分を変え、またその結果救われる...
そんな人間の姿が描かれていた。
そして、その脇にはクリスマスと死が添えてあった。

「メメント・モリ」という言葉がある。
ラテン語で「人は必ず死ぬ、そのことを忘れるな」というような意味らしい。
なんとも厨二心を煽られる言葉である。

人は生きているとどうしても慣れる、忘れる。
自分が大事にしていたこと、希望があったこと、やれること、そして死ぬこと。
その事をハッと思い出させる格言のような言葉を、僕は上記の二つの物語を通して思い出した。

死があるから生きられるのだ。
忘れたい後悔や過去に囚われる自分。
ただ、過去は変えられずともこれからは変えられる。
人は許し、許させれ、救い、救われる中で変わっていく。
そして残された今これからを変えていくのだ。
自分のやれること、やりたいこと、後悔したくないこと...
それを死ぬまでにやってしまうのだ。


物語と癒し

ただ、そうも毎日死を意識してはいられないし、慣れたり忘れたりすることで生きていけるというのも人間だ。

そこで節目毎に物語に触れるのだ。
自分の過去に直接ではなく、物語を通して触れてみる。
そうすると適度な加減とタイミングで大事なことを思い返すことができる、そんな気がするのだ。

そしてそれは癒しになる。
傷や負い目、後悔は確かに存在するけど、それを受け止めて前に進もうという気持ちにさせてくれる。

物語には、そんな力があるように僕は思うのだ。


おわりに
noteの世界でメリークリスマスと叫んだけもの

たとえ恋人や家族と過ごせなくても、お金がなくても、いいんだよ!
あったかい気持ちで過ごそうよ!!

と言いたくて書いた記事なのですが、最後はなんだかいい事言ったふうになってしまいました...笑

みなさんクリスマスはどんな風に過ごしますか?
僕は腐れ縁の友達(男)とふたりきりのドキドキクリスマスパーティをするつもりです!

例え世間のスタンダードや理想から外れていても、自分自身が楽しめたり満足した気持ちになればいいんじゃないかと思います。

今年はたまたま友人と過ごすことができるのですが、ひとりで過ごす年もありました。
そんな時に出会ったのが「戦場のメリークリスマス」と「クリスマスキャロル」でした。

色んなクリスマスのスタイルがあっていい、そんな安らかな気持ちにさせてくれたのは作品との出会いがあったからでしょう。

みなさんのクリスマスが素敵なものになりますように。

メリークリスマス!

追伸
「戦場のメリークリスマス」はAmazonプライム
「クリスマスキャロル」はNetflixにて
「スクルージ クリスマス・キャロル」
として観ることができますよ!
よかったらぜひ観てみて下さい(o^^o)

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