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自動筆記のようなもの

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自動筆記のようなもの
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#小説

いつの日かの語べ

水だって、どこの水なのか書かれているんだから、その人が、どこの出身なのかなんて関係ない、という言葉なんて、今のところ偽善にしか思えない。 小学校の頃は、蛇口の水をそのまま飲んでいたけれど、今じゃ、水筒を持たせているようだから、時代は少しづつ変わっているんだろうな。とりあえず、お母さんは、水を買うのが当たり前の時代になるなんて、だとか、テレビに消費者ローンのCMが流れるなんて、と言っていたのを思い出した。そういう時代があって、今の時代があるんだな、と他人事のように思っていたけ

拡張現実的錯覚

小学一年生のとき、小学六年生が大人に見えたし、すごくちゃんとしているような感じがしたけれど、中学三年生のとき、小学六年生がまだまだ子供のように見えた。 幼稚園の時、おばあちゃんが住んでいる団地へ行くと、ものすごく高い建物だな、と思っていたけれど、10年ぶりに訪れたら、そんなに高くなかったので、驚いたのを覚えている。多分、身長が伸びたからなんだろうけど、それにしたって、ここまで印象が変わるんだろうか? 大人になると、急激に身体は変化してくれないから、肉体を鍛えようとする人がい

儚い夢舞台

いいな、と思う人に出会うと、二度見してしまうけれど、頭では、一目惚れした、と思うのだから、自分の思考なんて信用できないな。 言っていることと、やっていること違うじゃん、と文句を言う人がいるけれど、果たして、世の中にどれくらい有言実行している人がいるんだろうか? 大抵どこかしら違っているんだから、そこらへん大目に見ようじゃないか。寝ている間に冷蔵庫を開けて、何かを食べているのをテレビで観て、もしかして自分も寝ている間、何かしているんじゃないかと思ったりする。ぐっすり眠った日の

矛盾だらけの理想像

雨が降り始めて、真っ先に傘をさす人は、絶対濡れたくない大切なものを身につけているんじゃないかと思う。 もしくは、大切な人に会う前とかね。だからといって、雨が降っていても、いつまでも傘をささない人がダメなんて思わない。子供の時は、雨が降っても濡れながら遊んでいたことを思い出して、あの時は大切なものなんてなかったし、だからこそ遊ぶことしか頭になかった。雨が降ったら、すぐ傘をさす人にも、ずっと傘をささない人にもなりたいな。靴下が濡れるのに備えて、もう一つ靴下を持っていく慎重な人に

グレーな傷跡

アメリカ人やフランス人に生まれたかったな、と思ったことはあるけれど、漫画やアニメは日本語だし、落語の面白さは日本語じゃないと分からないと思うし、日本人にしか分からないような小説があって、日本人だったからこそ感じることができる何かがある。 だから、日本人でよかったなと思うけれど、それはアメリカ人やフランス人にもあるんだろうし、だから、どこで生まれても、そこでしか味わえない感情があるんだろう。翻訳することで欠落してしまうものがあるけれど、それを知るために外国語を学んでいるんじゃ

名前なき病名の名付け親

泣くために、泣けると謳っている映画を観る人にはなりたくなくて、現実で泣く人間になりたいと思っていたけれど、それって結構難しいことなのかもしれない。 泣ける映画だからいい映画なのだとしたら、泣けない人生はダメな人生なのだろうか。決してそういうことではないから、全米が泣いたという言葉には騙されないようにしようと思う。そもそも、なんで悲しみという感情が涙に移りゆくんだろうか? 喜びは笑顔になり、怒りは暴力になってゆくんだろうか? 喜怒哀楽という感情は、こうやって肉体と結びついてい

瞬間的審判者

電車に揺られていると、酔ったサラリーマンが隣に座ってきて、大声を出したり、椅子を叩きつけたりしていたので、みんなその人から離れるけれど、ここで自分が席を離れたら、負けのような気がして、なんとなくそのまま座っていた。 最近読んだ小説に、狂人は、満員電車なのに隣の席が空いてしまう、みたいなことが書いてあって、この人が狂人かどうかは、自分が席を離れるかどうかにかかっているのだろうか。自分が、この人の人生だとか、存在意義だとかに審判を下すかのようで嫌だった。たとえ、自分が席を離れて

身の程あらず

純喫茶に行って、自分の身をその環境の馴染ませれば、なんだか良い人物になれるんじゃないか、と毎回期待している。 1杯1000円のコーヒーを飲みながら、自分を誤魔化すように過ごしている。でも、ファミレスに行ったら行ったで、自分より若い人が店内に溢れていて、そのエネルギーに圧倒されてしまう。身の程知らずという言葉があるが、純喫茶も、ファミレスも、自分の身に合っているとは思えない。自分の身の程ってなんだろうか、と真剣に考えても無駄で、確かなことは、信じた人さえたくさん集まってしまえ

優しくなる途中

1000年経っても共感できる和歌があって、人間の心なんてそんなに変わらないんだな、と思うけれど、SNSには共感できない文章がツイートされている。 なんで、同時代の人に厳しくて、先人には優しくなれるのだろうか? 人を理解するのに、いつ生きていたのか、なんて関係ないのかもしれない。共感されなかった言葉は、いいねもリツートもされず、どこかへ追いやられてしまうように、共感されなかった和歌も、みんなに無視されたんだろうな。その時、作者はどんなことを思ったのだろうか? 先人を尊敬しても

辞書による苦痛を超えて

没頭する対象を間違えただけで、人生とやかく言われるなんて、不平等すぎる。 もし、勉強に没頭できたら、褒められることが多いのに、ゲームに没頭したら、文句言われるのだから。本当は、それがどんな対象であっても、尊重されるべきなんだ。偶然、勉強に没頭できた生徒だけが、優等生だと思われるなんて、残酷すぎるでしょ? でも、アイドルを好きになっても握手会には行かないし、サッカーのテレビ中継は見るけれど、スタジアムで観戦しようとしない、そういう中途半端な態度に嫌気が差す。それで、ぐずぐず没

ちっぽけな足掻き

残す、という言葉は、ものすごく傲慢な言葉なのかもしれない。 誰か一人が残そうとしても、心に残るものは、人ぞれぞれ違う。災害を忘れないようにしましょう、と言ったところで、忘れない人は忘れるわけないし、もしかしたら、それよりも違うことを忘れたくない人だっているわけで、だから、残るものは、否応なく自然と残ってしまうもの。もしかして、残そうとする行為は、人間の心に反している行為なのかもしれない。化石みたいな偶然残ったものを保存しようとすることと、アートを保存しようとすることには、ま

剥奪できない想像力

車の窓から、月を眺めていると、こちらを追いかけてくるようで怖かった。 それは明らかに目の錯覚だけれど、錯覚という言葉がない時代に生まれていたら、どんなことを思っていたのだろうか? 間違いなく、月に様々な想いを重ねていて、だから、百人一首には、月という言葉がたくさん出てくるんだろう。小さい頃、月には見守られているような安心感があると同時に、常に監視されているような緊張感もあった。なんだか、神様とか宗教ができた理由がわかるような気がした。知識は、人類を豊かし、その分だけ、想像力

普遍的速度

食べるのが遅いと怒られて、起きるのが遅いと遅刻して、歩くのが遅いと誰かとぶつかってしまう。 いつの間にか、遅いだけで責められてしまう世界に生きていた。だから、どんどん遅いを切り捨てることで、効率を最大限まで高めようとしてみる。学校で現代文をやっていると、なんで試験時間内に、この文章を読み切らないといけないのか、いつも納得いかなかった。文章を文章として扱っていないような気がして嫌だった。速読という言葉に憧れたこともあるけれど、はやく読もうとも、はやく読むこともできなかった。映

凍結した感性

この人面白いかも、とフォローした人のフォロワーを見ると、一万人超えていて、肯定されたような感じがする。 あなたの感性は間違ってないですよと、SNSから言われているようだった。でも、そんなところで感性を肯定されても意味なくて、それよりフォロワー数で自分の感性は正しいのか判断している自分の感性が嫌になった。その作品が好きだから好きなのか、みんなが好きと言っているから好きなのか、そういう境界線をあえて曖昧にして、毎日をやり過ごしている。曖昧にしておくことで現実逃避するようになった