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"私が何をしてあげたいか"より"相手が何を望んでいるか"で動ける人でありたい


『80歳の誕生日はどうやら特別らしいよ』

兄のこの言葉がきっかけで、我が家では今年80歳を迎える祖母の誕生日祝いを行うことに決めた。

私の祖母は私達家族が住む家からは車で2時間程の距離のところに1人で住んでおり、毎年その誕生日は土日に実の娘である母や、祖母宅に5年ほど居候していた孫である兄がプレゼントを持って会いに行っていた。

私はというと、電話をいれる程度のことしかしていなかった。

でも、そんなわけで今年の誕生日は、家族そろってお祝いすることになった。

そのことが決まると母はさっそく大張り切り。
家族のことも、実の母である祖母のことも溺愛している母らしいといえば、らしい行動だった。

そして、家族会議の結果「せっかくだから、少し都会まででて評判の良い和食屋さんで食事をしよう!」と言うことになった。

話しがまとまって、そのことを母が祖母に報告した。
私はたまたまその場に居合わせたけれど、その時の祖母の反応に違和感を感じた。

遠慮しているのか、照れているのか、とにかく少し困った感じに見えた。

でも、正直言って私は家族の中では祖母と一緒に過ごした時間は父に次いで二番目に短い。
実の娘である母の方が祖母のことはわかっているはず、その母が祖母のことを思って考えたプラン。
私の考えすぎか、とも思った。

でもやっぱり、気になってしまって、、、

その後母から店探しが難航しているとのことを聞いて、お店のリクエストを取るついでに、改めて祖母に聞いた
『ばあちゃんは、何が嬉しい?』と

その答えはやっぱり、私が予想していたものと同じ
『家でみんなで食卓を囲むだけでいい、変わったことをするのは疲れちゃうんだよね』
やっぱりな。ばあちゃんはそう言う人だから。



人を喜ばせたいという気持ちだけが先走ってしまうことはよくある。

そしてその結果、母はその喜ばせ方を間違っていた。

一般的に見て、"良い娘の親孝行"的な行動が祖母を1番喜ばせることができると母は思っている。

そういう場合ももちろんあるだろうし、一概に間違いではない。
主張のない人間に対する喜ばせるには、それが最善だとも思う。

でも今回は違う。
祖母にはきちんと主張があって、"して欲しい希望"があった。

その案が出た時に、興奮状態とはいえ実の娘にも乗り気ではないことが気づかれないほどのリアクションを取ってしまう祖母も祖母だが、、

"相手の気持ちになって考えなさい"
小学生の頃から教育の場面ではよく使われる言葉。

でもこの言葉は、ビジネスマンへの教育場面でも頻繁に使われる。

それほど人間にとって最重要事項でありながら、なかなか定着しない行動なのだと思う。

実際、相手の気持ちを考えなくたって、大人にはなれるしビジネスマンにだって、人の親にだってなれる。
私の母のように。

でも、やっぱり相手の気持ちを考えて、それに合わせて行動ができる人がいると周りの人は救われる。
そんなことをしてくれる人が少ないからこそ、その存在は特別なものになるし重宝される。

人の気持ちを考えられる人でありたいです。

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