夢を掘る人

つづき。

走るのが得意だったからスポーツを好きになったのか、スポーツが好きだったからそこら中を走り回っていたのか。幼少の自分の気持ちなど今となっては思い出せない。
幼稚園の文集にはサッカー選手になりたいと作文を書いた。そこに父は、あたかも応援しているかのような愛のあるコメントを書き添えていたのだが、小学校のときにはその作文を読み返し自分では無理だよと鼻で笑っていた記憶がある。その頃には才能のなさを自覚させられていたか、努力することから逃げていたのだろう。

文武両道。何にでもなれるさ。先生や同級生がそういうお世辞を言う度に、自分の中に育っていたのは自信ではなく慢心と困惑だった。だだっ広い砂漠のような可能性を提示されながら、喉を渇かすこともなく、雨が降るのを待っていた。そのうち何を探していたのかも分からなくなり、足下の砂場を掘っては軽めの絶望を繰り返す。
このまま歩き出さずにいるならば、この夢は永遠に醒めることはないのかもしれない。

暑さのせいか近頃は、少し喉が渇く。
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