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雨が屋根を打つ音を


こんばんは、夕月です。

ここ数ヶ月間、目まぐるしいほど色々なことがあったのですが、その中でも重大なトピックについて今日は書いていきたいと思います。

5/28に、父方のおじいちゃんが亡くなりました。
あっ重ーい!と思いましたね〜合ってます〜できるだけカジュアル(カジュアル?)に書いていきますが、しんどくなりそうな方はスルッと右スワイプしてください(センシティブな話題とは適度な距離感を保つことが大事!)

仕事中の18:50ごろに母から「おじいちゃんが危篤です」とLINEがきて、その20分後に「亡くなりました」と続報が入りました。
厳密に言えば、危篤と言われた時にはもう心肺停止の状態だったのですが、それが自宅だったので、その後医師から正式に亡くなったと言われたような感じだったらしいです。

おじいちゃんとは(おばあちゃん、そして同居する父の妹であるおばさんとも)コロナが始まってからのこの4年間くらい、一度も会っていませんでした。
昨年おじいちゃんがほぼ寝たきりになったことは父づてに聞いていましたが、みんな「まだ大丈夫」という感覚があったので、あまりにも急な出来事に、おばあちゃんたち含め家族一同困惑していました。

死因は、胸部大動脈瘤破裂でした。

自宅で亡くなったため、すぐに警察が、おじいちゃんたち3人が暮らす自宅に押し寄せて、至る所を写真に収めていったそうです。(おばさん曰く「私の部屋干ししてる下着まで撮らはるねんで!もう恥ずかしいわあ!」とのこと)
おばあちゃんとおばさんは、おじいちゃんが亡くなったことにびっくりはしたものの、介護が大変だったこと、ある程度覚悟が決まっていたこともあり、おじいちゃんの心臓が止まっていると伝えられた時も割とケロッとしていたそうです。
「私らがなんにも悲しまへんからあんなに入念に色々調べてはったんやろか」と能天気なおばあちゃんは首を傾げていました。
検視のためおじいちゃんは次の日の夕方まで帰って来ず、翌日の5/29に私たちは4年ぶりの再会を果たしました。

久しぶりに会ったおじいちゃんは家族葬の小さい斎場にいました。綺麗に飾り付けられたお花の前に、台に乗せられて横たわっていました。
目と口が少し開いたまま動かないおじいちゃんが、現実だと思えなくて、でも動かないという現実は確かに目の前にあって
受け入れ難い事実と後悔に、涙が出ました。


斎場を出てから、おばあちゃんとおばさん、父と母と妹と私の6人でご飯を食べにいきました。
おじいちゃんが死んだと思えないほど皆よく食べ、よく喋りました。4年間のブランクを感じさせないほどの話の弾みように、「ああやっぱり家族なんだなあ」と思いました。
そして、「その家族のひとりが、もうこの世からいなくなってしまったんだなあ」と思いました。

思えば、おじいちゃんとの思い出って、2本の指で数えられるほどしかありませんでした。(普通せめて、両手で数えられるほど、とか言いますが、本当に2本の指です。人ではないな?)
おじいちゃんは物静かで、ずっとこたつの座椅子に座ってテレビを見ている人でした。そういえばあんまり歩いてる姿自体見たことなかった気がするなあ
それも、おじいちゃんが寝たきりになってしまった理由のひとつでもあったらしいです。座椅子にずっと座って動かないから、腰の骨が折れてしまって(ぶつけたりしなくても骨って折れるんですね)そのままほとんど歩けなくなったそうです。お散歩ってやはり偉大なんだな。

私たちが嫌いなわけではなかったけれど、静かなのが好きなおじいちゃんは、私たちが来てもすぐ、「もう帰らなあかんのちゃうか」とやんわり帰りたまへアピールをするような人でした。笑

少ない思い出を辿っても、そのどこでもおじいちゃんは静かに笑っていて、
わちゃわちゃした雰囲気が得意じゃなかっただけで、私たちのことはちゃんと愛してくれていたんだろうなと思います。
落ち着いた今ならゆっくり話せたのかなとも思って、また涙が頬を伝いました。

コロナが、とか、距離が、とか言ってないでちゃんと会いに行けばよかったな
なんのために車の免許なんか持ってるんだよ
会いに行かなきゃいけない人のとこに行かなくてなんのための免許だよあほんだらー

ご飯が終わって解散する時、おばあちゃんは「楽しいお葬式にしようねー😆」と言っていて、「お葬式に楽しいもクソもあるかーい!」とツッコミそうになったと同時に、この人がおばあちゃんでよかったなと思いました。

5/31 お葬式の時に会ったおじいちゃんは、目も口も閉じていて、綺麗にお化粧までしてもらっていました。
辛そうに口を開けていた時と打って変わって、唇を真一文字に結んだおじいちゃんはお葬式のかしこまった雰囲気に緊張しているみたいでした。

お葬式はおばあちゃんとおばさん、そして私たち家族だけで本当に小さく行いました。新潟に住むおじいちゃんのお姉さん(私から見た大叔母さま)も来てくださいました。

棺が閉じられる時、大叔母さまは「お姉ちゃんの方が7つも年上なのに馬鹿だなあなんて言ってたのに、先に死んでしまうなんて。みんないつも私だけ置いていくのね」と泣いていました。
手の甲でおじいちゃんのこめかみに触れました。
柔らかい皮膚の下に冷たい氷が入っているみたいに硬くなったおじいちゃんに、また、もうここにあなたがいないことを突きつけられました。

もう帰らなければいけなかった大叔母さまとは葬式場でお別れしました。
大叔母さまとはきっと最初で最後のお別れなんだろうなと、おじいちゃんの面影が残るその顔を不思議な気持ちで見送りました。



火葬場までは我が家の車で移動しました。
天気予報を見ない私は、車に乗り込む時に今日が雨であることを知りました。
山の中にある火葬場は静かで、雨の冷たさも加わって、身体の芯を冷やすようでした。燃やす場所なのにね


火葬場に着いた時、母に「覚えてる?」と聞かれました。
母方のおばあちゃんは、私が生まれる前に亡くなって、私が3歳の時におじいちゃんが亡くなりました。
おじいちゃんを火葬してもらう時、私もここに来たらしく、その時にまだ3歳の私は、母の頭を撫でながら「ありがとうな。」と言ったそうです。母はそのことを振り返るたびに「絶対おばあちゃんが乗り移ってたんやわ」と言っていました。
「うーーん来たことある、ような気もする」と言いながら私たちはおじいちゃんのところへ移動しました。

火葬炉の手前にある小さな講堂のような場所に移動した時、なんとなく記憶が蘇ってきました。
「私ここでママにありがとうって言った?」と聞くと、母は「うん」と頷きました。突然のスピリチュアルエピソードです。これを読んでいるそこのあなた!リアクションするところですよ!

火葬炉でおじいちゃんと最後のお別れです。
「おとうさん、またね」と微笑むおばあちゃんが愛おしかった。
エレベーターのような火葬炉に入っていくおじいちゃんをやっぱり私はまだ現実だと思えませんでした。

斎場の人の「火葬は1時間、人によっては1時間半かかります。」という言葉で、待合室の机を囲む私たちの話題は持ちきり。
「1時間半かかるかどうかって、1時間経った頃に一回出して見てみるんかな?」「ちゃんと火通ってるかな?って?お魚ちゃうねんから!」
どこまでも能天気な家族です。(おばあちゃん譲り)

1時間後、焼き上がったおじいちゃん(コラ!)を骨壷に納めに、私たちは小さな部屋に移動しました。
身長が160センチくらいだったおじいちゃんは、亡くなる直前にはもう50キロを下回る体重しかなかったそうです。
「おとうさん、あんなに細くなってたから、焼く時間も長くかからへんかったんやろうなあ」とおばあちゃんは言っていました。
棺の中で横たわるおじいちゃんからは、その細さを感じられなくて、弱ったおじいちゃんの姿を最後まで想像できなかった私は、骨になったおじいちゃんを見てもやっぱり現実だと思えませんでした。

解説してもらいながら、私たちはおじいちゃんのかけらをひとつずつ骨壷に納めました。
「骨に触ってもいいですか?」とおばさんが聞いて、「いいですよ」と許可をもらったので私たちはおじいちゃんに触れました。
さっきまで冷たかったおじいちゃんはほんのり温かったです。
温かくてカソカソの骨になったおじいちゃんがとても綺麗に見えました。
「写真を撮ってもいいですか?」と私が聞くと、「だめです」と却下されました。それはそうです。
母に、目に焼き付けろと言われたので、目玉をかっぴらいて見ておきました。
ずーっと思っているのですが、目がカメラの役目を果たせるようになるのはいつでしょうかね…。

おじいちゃんを連れて火葬場を後にしました。
車に乗り込んですぐ、私はノートと鉛筆を取り出し、揺れる車内で骨になったおじいちゃんを書き殴りました。
何年もデッサンなんてしていない私の手では、到底おじいちゃんの美しさなんて残せませんでした。
雨が車の屋根を打つ音を子守唄にして、気付けば私は眠っていました。

おじいちゃんたちをおばあちゃんの家に送り届けて、私たちは「また今度ゆっくり〜」と手を振り合いました。


おじいちゃんがいなくなった実感は、正直今でもあんまりないです。おじいちゃんの遺体を見ても、触れても、骨になった姿を見ても、まだあの家の座椅子でテレビを見てそうな気がします。
でも、なぜかおじいちゃんがいなくなってから、美大生なのに絵を描くなんて全然してこなかった私に、絵を描きたいという気持ちが湧いてきました。
見えている景色の解像度が上がって、もっと、全てを残したいと思いました。

おじいちゃんとの思い出はあんまりないし、どんなことをして、どんなふうに生きてきた人なのかもおじいちゃんの口から聞けなかった。今でも知らないことは後悔するほどたくさんあります。
でも、おじいちゃんがいてくれたこと、そしていなくなったことは私にすごく大きなものを残していってくれたように思います。

おじいちゃんの骨の隅々まで覚えていられるうちに、ちゃんと描けるようになりたいな


おじいちゃん、あなたの死を無駄にはしないぞ(ゾンビ映画?)
おじいちゃんが何が好きだったか、どう生きてきたのか、今度ちゃんと聞きに行くね。
もう好きなだけ座椅子に座ってていいから、もうきっと何も痛くない向こうで、テレビでも見て待ってて欲しい
おじいちゃんが残してくれたこの冷たくて綺麗な世界を見せにいくから、もうちょっとそっちで待っててね。


雨が降って、屋根や傘を打つ音を聞くたびに、
あの日の寒さとおじいちゃんの冷たさと、
骨の温かさを思い出します。


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