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最後のKaMiNG SINGLARITYが始まる/2

2021年9月12日、最後のKaMiNG SINGULARITY(カミングシンギュラリティ)が始まる。この記事はこれまでKaMiNG SINGULARITYに関わってくれたすべての皆様に向けて書きます。

まずは、こんな怪しい企画に参加をしてくれてありがとうございます。笑

怪しいだけじゃなくて不可解で、難解で、周りの人を誘おうにも、意味がわからないと言われることもしばしばあったんじゃないかと思います。(僕は何度もありました)

ましてや「神」と「シンギュラリティ」という多方面から火が立ちそうなコンセプト、関わってくださった勇気に、まずは感謝を。

この作品では「人」「AI」「神」という似ているようで違うものを、違うようで同じものとして3点の関係性を、異なりが生み出される力学を、文学(フィクション)と祭礼(フィジカル)の2つの力を交互に用いながら創発し、解像度を高めてきました。

はじまりは2019年、秋。
まだ小説を1文字も書いたことがない、ましてや読んだ作品も片手で数える程度という状態で、神についても、AIについても、およそこの作品で扱う全てにおいて素人だったと思います。(今もそうだけど)

前回のnoteでも書いたようにKaMiNG SINGULARITYは概念自体が矛盾していて、その制作が一筋縄ではいかないことは火を見るより明らかでした。

ソーシャルフェス®︎というプロジェクトをしていたこともあってか「(シンギュラリティという)そんな遠くの課題じゃなくて、もっと目の前にやるべき課題があるんじゃないの」と言われたこともあったし、2019年の夏までは毎月どこかで講演やメディア取材の依頼をいただいていたのにKaMiNGをリリースしてからはまるっきりなくなってしまったというようなこともありました。いつも掲載してくれていたメディアもプレスリリースに反応してくれなくなったり、SFとはいえ宗教を扱った作品をこの国でやっていく手厳しさを肌で感じました。

とはいえネイティブアメリカンが7世代後を考えながら持続可能な暮らしをしていたように、遠くの課題だからといって今取り組まない理由には思えなかったし、シンギュラリティが起こるか起こらないかは置いておいても、人工知能で今後起こりうる問題は今ここに生きる人間の振る舞いが肝要に見えたからコンセプトを疑う理由にはならなかったけど、ここまでやり遂げられたのは関係者の方々がいてくれたからこそだなぁと振り返ります。

小説は1人で書けて1人で読めるけど、フェスは1人じゃつくれないし1人じゃ楽しめない。kamingが人とAIと神との関係性を描きその線上に新たな概念が浮かび上がるように、自分と誰かの関係性においてもそれぞれの自分がいて、誰かがいて、kamingがあって「わからないもの」を共創していく中で、kaming singularityは大袈裟にいうとまるで宇宙のようにハレーションしていって、無数のkaming singularityが現象したように感じます。

1作品としてそれはどうなの?とも思われそうだけど、それで良かったしそれがしたかった。もう7年前から”そうぞう機会の最大化”をパーパスとして掲げているように、そうぞうのハレーションの数だけ宇宙は豊かになって次世代により良い実りの可能性を継ぐことができると思うから。

小説の中にも関わってくれたプロダクトやサービスが登場したり、関係者のキャラクターがそのまま登場人物に反映されたり、拠点にさせてもらっていた100BANCHに通うまでの渋谷川が舞台になっていたり、イベントを終えての自分の心情がそのまま台詞になっていたり、紙の上で空想を練るだけでは決して生まれることのなかったとても身体的なプロセスでつくったものになっていきました。

関わってくれた全ての人との縁が次年度への因をつくり、それがまた別の縁へと繋がって因果が円環していき、その果てに9月12日の最終回があります。

いや、きっとそれもまた別の因果をつくって別の何かに辿り着き、最終的には宇宙の終末までエントロピーが増大してまた別の宇宙の因果へと永遠に円環してはいくのだろうけど、なんせ今日のKaMiNG SINGULARITYという物語が存在してる奇跡のようなものを感じます。

得体の知れない何かに突き動かされて書いて、進んできた道のりを、1つ1つのご縁がスポットライトのようにこれまでの足跡を照らしてくれて、自分で書いたものにもかかわらず「あれはそういう意味だったんだ」と気づかせてくれました。

自分が物語を書いている時、誰かもまた自分の物語を書いているのかも、そしてその人もまた誰かに物語られている。

お互いの観察や振動の間に人格や社会などの現象が浮かび、その触れ合いの共感や手触りの誤差から物語が浮かび、そして流れ、忘れ、大きな海へと辿り着く。

この3年間。
当時インターンとして製作を手伝ってくれていた学生たちもみんな卒業して社会人やってるし、転職した人もいれば結婚して子供産んだ人もいる、亡くなった人もいる。この世界もシンギュラリティこそ起きていないけど、何かの特異点を踏んでしまったのか、一変してしまいました。

関わり、流れ、絡み合い、時に切れかかった縁もあるこの時間上で

あわよくばこのまま2045年まで、当時訳がわからないままつくっていた妄想が実現されると言われるその年まで、KaMiNG SINGULARITYという作品が確かにあった関係線を再び照らし、集合し、その正誤確認を笑い合いながら分かち合えたら、どんなにいいことだろうかと思います。

本作が終わったら、皆さんのクレジットや色々な資料をまとめて、ブロックチェーン上に刻みます。あと印刷したり、掘ったりして、タイムカプセルで地中に埋めます。これでもう、2019年から3年で起こしたこの事件を誰も改竄できません。誰かが思い出して掘り起こすかも、みんな忘れてしまっていたらそれはそれで面白い、別の誰かが発見してくれるかも、そしたら笑い者になるだろうか、予言者になってしまうだろうか、どうなるかはKaMiのみぞ知るところですが、なんかそれまで少しでもワクワクできるなら、やっぱりこれは作って良かったんじゃないかと思うんです。

なぜ今やるのか

最後に1つだけ、なぜ今年開催するのかという至極真っ当な疑問に答えたいと思います。イベント業界としてはここ数十年、あるいは数百年で最も逆風が吹いているこの年にです。メディア等々で問い質されているフェスに比べれば何千倍も小さな最大20名という規模ではあるにしても、集まることのリスクがあることには変わりありません。

日本ではまだ個人の死生観や主義に応じて選択の自由が保障されているとはいえ、社会全体の病ともいえる状況でリスクをとるからには説明責任があると思うので、説明します。

まず大前提として、この規模のイベントにしてはかなりしっかりと感染対策を実施した上で開催します。対策は主に以下です。

・本イベントは東京都感染拡大防止ガイドラインに基づき開催いたします。
・会場内は常時換気しエアロゾル対策をしております。
・入場時、不織布マスクとフェイスシールドを配布致しますので、必ず装着していただきます。(不織布、N95などの医療用マスク以外では入場不可となります)
・関係者全員に事前に抗原検査を行い陰性者のみで実施します。
・会場内はお客様同士2mの間隔を開け、かつ座席間全てにパーテーションで敷居を設置した指定座席となります。
・本公演は感染症対策を鑑み、通常収容人数の半分以下で実施いたします。
・当日朝にご自宅にて検温の上、37℃以上の熱がある方、咳が出る方、少しでも体調が悪いと感じたら参加を見送っていただきますようお願いいたします。
・会場は通常利用時の3分の1を定員としています。(1公演につき最大20名まで)
・開催日2週間前より首都圏内で会食、マスク無しで複数人で集まる場への参加は控えていただきますようお願い致します。
・受付時に検温をさせていただきます。発熱(37°C以上)または会場内にて咳の症状が見受けられる方は直ちにご退場いただきます。
・会場入り口に入る前に備え付けのアルコールスプレーにて手指消毒をお願いいたします。
・各部開場前に、お客様の手指の触れる箇所の消毒清掃を実施いたします。
・各部開場前は会場の扉を開放し、場内の換気を定期的に行います。また、開場中、上演中、 終演後に関わらず、場内の換気システムは常時稼働いたします。

少なくともスーパーやコンビニ、バスや電車の中よりは安全だと思われます。それでもリスクは付き纏います。では、なぜ。

この2年間、誰もがそれまでより死を身近に感じていたと思います。特にデルタの感染拡大以降は重症化率も上がり、更にはワクチンで死者が出るなどの情報も回り、大なり小なり死と向き合った人が多い季節だったのではと思います。

一方で、こんなに他者と対話をすることができなかった年もありませんでした。まず見知らぬ他者と出会わなくなってしまいました。オンラインではClubhouseなど流行りましたが、やはり身体性を伴う対話とは別物だということも分かりました。

死を自分1人で考えるのはあまり良くありません。ましてや日本では、新型コロナが流行する前と比べ、うつ病やうつ状態の人の割合が2・2倍増えています(7・9%→17・3%)ステイホームは健全な感染対策ですが、心はどうでしょか。ただでさえこんな状態で塞ぎがちなのに、スマホを開いても不安やヘイトばかりで、日々少しずつ溜まっていくこの暗くて重い感情の吐き口もなく、うつが増えるのも自然なことに思います。

平時ならば、エンターテイメントがその吐口となる役割を担っていました。ライブやフェスで騒げば少しの間忘れていられる、あわよくば後日から気分を切り替えることができました。でもそれも、少しの間だけ。目を背けるだけじゃ、逃げたことにはならないのです。

逃げ切るためには深い体験が必要です。脳の最深部まで思考を回し、腹の底まで落ちていく体験。そのために対話をベースにしたイマーシブシアターは有効です。生きることについて、死ぬことについて、正面から向き合って考えて、他者に話し、他者の話を聞き、物語がもたらすいくつかの解と共に、参加者は体験したあと咀嚼しきれない何かを引きずることでしょう。1日で腹落ちしてしまう人もいるかもしれないけど、KaMiNG SINGULARITYは圧倒的未知、圧倒的外部を口の中に放り込むので、それをゆっくりじっくり咀嚼して血肉へとして欲しいと思っています。

そのプロセスにおける想像は未来の肥やしになりAIと人間のベストな関係性を創造していくとも思っていますが、直近の課題としてはまず何より「自分の思ってることを他者に話す」ということをリアルな場でして欲しい。二次元上の議論を見て辟易としているかもしれないけど、三次元の半フィクション世界では、人間が病となったAIのあなたなら、ちゃんと今ここに必要な対話が生まれてくるはず。

黒く重い感情はそれ以上の濃さと重さのフィクションでないと癒せないことがあります。癒そう、助けようなんて思っちゃいないですが、自分だったら今こういう体験が欲しいです。だからやるだけ、シンプルな理由はそれだけ。全責任は自分が負います。

3年かけてつくりあげてきた物語ももう2日後には終わっているという確度の高い未来に対する感情はなかなかに複雑ですが、どれだけ考えても時間は勝手に過ぎてゆき、然るべくことしか起こらないので、ただ今できる万全を尽くしたいと思い、こんな記事を書きました。

本当は毎回内部に向けてちゃんと言葉を発したいと思いつつ、いつも本当にギリギリまで手一杯で何もできずにいたので、最後にして一記事書くだけの時間を作ってくれた運営メンバーには本当に感謝です。

明日のリハーサル、明後日の本番、どうぞよろしくお願いいたします。





「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。