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子どもが夏休みなので一緒に休んでみた。【ニート宣言】

小学校1年生の娘に初の夏休みが訪れた。

学童保育等の利用の予定も無いため、約1ヶ月間家にいる事になったのだが、そこでどうせなら僕も一緒に夏休みしてみるか!と思い立つ。

大丈夫。何を言ってるのかはわかってる。
夏だし暑いし、お父さんも働きませんと声高に宣言しようというのだ。一般的な視点で見れば笑えるくらいクレイジー。

でもまあそれなりに子育ての事を思って考えてる部分はあって、まず一つとして、せっかくの長期休みなんだから一緒に遊ぶ時間や、日頃は学べないような事を学ぶ機会を設けるという意味で、共有する時間を増やしてみようと思ったという部分がある。

そしてそれに加えて、一番身近にいる大人としての問題提起的な部分も大きい。
大人は働くものという概念を根底から覆して、働くという意味を再構築するという側面や、そもそもやりたい事をやる時間をどう作るかっていう可処分時間生成の部分や、1年中同じリズムでなくても、天気や季節によって働き方をアレンジしても良いじゃないという文脈で、これらの作戦を実行していきたいと思うわけです。子どもは育った環境に多大な影響を受けるとするならば、僕の言動が、娘にとって、世の中の様々な事に対して感じる「何故?」の気持ちに繋がっていけば良いなと思います。

因みに大事な事なので先に言っておきますが、貯金はゼロです。
ここ超重要(笑)
切り崩しながら運用できるような資産はありません。やっぱりクレイジーですね。


さてさて、そうして早くも13日が経過するわけですが、その中で基本的には毎日室内でやりたい事やって、飽きたら川遊びに行くというのがルーティンになってきています。

室内では一緒に制作をしたり、読みたい本を読み耽ったり、絵を描くこともあれば、ジブリのアニメのお気に入りの部分を延々とリピートして見ている事もあります。劇中のメロディを鍵盤で少しなぞってみたかと思えば、電源付けっぱなしで次の遊びへ移行して、まあそんな感じです。あるあるも沢山詰まってますね笑
とりあえずやりたいように好きに過ごしてる感じです。学習はゲーム感覚で適当にやってます。ハマれば結構長くやってるし、いまだに学校でいうところの勉強(カリキュラム的学習)は遊びだと思ってるので、全然苦にもなってないよう。

僕も家のことを済ませたら、楽器に触れたり制作活動をします。それぞれの気持ちの良い集中の時間を保証する事も大切だよねってよく話してます。昼前になってだいぶ日が昇ってくる時間、頃合いを見て、川遊びに出かけます。

子どもの好奇心と体力を全開放できる川では、3〜4時間はざらに遊んでます。
ついでに釣りや周辺の散策をして、食料も集めます。サワガニやハヤ、マスやヤマメもそのまま夕ご飯行きです。狩猟採取も学びながらというのが、大事なポイント。

エサも周辺でカワゲラやヘビトンボの幼虫を捕まえて自給します。生きる知恵ですね。

こんな感じで昼飯も食べずに夕方まで遊んでると、もうどうしようもないくらいお腹が空きます。
そうして帰ってから食べる魚や、畑の野菜達、おにぎりはもう本当に絶品で、こうしてると好き嫌いなんて物もそうそう生まれないのでは、と感じます。
僕の子供のころもそうでしたが、現代に生きる人々は、限界までお腹を空かせるという経験が少ないように感じます。
手頃になんでも手に入りますし、そもそも食事が時間によって区切られてる場合が多いですし。
お昼になったから食べる、よりも兎に角お腹が減ったから食べる!という選択の方が動物的にはとても自然な気がします。自分の身体や心の声を聞くという感覚の基礎練習のような気もしますし(笑)

さてさて、そんな毎日を基本としながら、その他では僕の活動についてきて音楽仲間と過ごす時間を共に過ごしたり、セッションしてみたり、同年代の子ども達といつの間にか仲良くなって遊んでることも。

あっという間に友達になる子ども達のコミュニケーション能力ってほんと素敵。

っとまあ、そんな感じでもうすぐ二週間が経ちそうです。

僕は基本的に早朝と夕方のみ畑仕事をしています。それはもう本当にちょっとした手入れ程度で、おおよそ働いているという感じではないです。
後は地域の農家さん達の野菜をまとめてスーパーに持っていったり、たまに草刈りするなど、そういったバイトは田舎にはちょこちょこ存在します。
音楽活動を併用しても、おそらく今月は月に数万円程度の稼ぎです。笑
だってほぼ毎日川で遊んでるので。笑

それでもまあなんとかやっていけるくらいに生活コストを下げる事が出来ている点は、また改めて紹介したいなと思いながら、なんと言っても、僕の代わりに働きに出てくれてる妻にはハイパー感謝。いつもありがとう。
(妻も含めて家族みんなでこのニート生活をやっていくには、もう少し経済的な工夫が必要なようで、そこはこれから楽しくクリエイトしていこうと思っているところ。)



子どもの頃は早く過ぎ去って欲しかった夏休み。
暴力的なまでに散らばった暇、アスファルトの上で増幅する熱。
居間から聞こえてくるNHKのど自慢の音、誰が買ったのかわからない清涼飲料水。連日のそうめん。夕立、ひぐらし、蚊取り線香。
あんなに退屈だったのに、大人になってみると、働く事に束縛されて、あの頃あんなにあった時間たちを只々羨ましく思い返してた。
いつから僕ら日本の大人には夏休みは訪れない事になったんだろう。

日本人が夏の空や雲に特別な思いを乗せるのは、大昔から四季の移り変わりを繊細に感じ言葉を紡いできた事に大きく起因するのかもしれない。
しかし、ここ数十年を日々忙しく生きる大人達が、少年時代の夏休みに帰りたくても帰れない、そうして抱えた葛藤がゆらゆらと蜃気楼のように現れているようにも見える。

僕らの心の中に今も生きる子どもの頃の自分は、きっとあの頃に帰りたがってる。
だからこそ、しがらみに自分を結びつけるのはやめて、解放してやろうと思う。

今を生きる子ども達と、僕ら過去を生きた子ども達、共にこの夏を楽しんでみたならば、どんな事が起こるだろう。

引き続き

Dive to 夏休み!!

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