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ただ毎日を「機嫌よく」生きてみた。【約1年やってみた結果】

あけましておめでとうございます。

何やかんやで文字列としてアウトプットすることで、頭の中を整理することができるnoteさんは今年も活用していく(だろう)と思う。
2023年もよろしくお願いします。

さて、ここでまずは昨年を振り返ってみた。
2022年、どんな1年だったろうか。
ピックアップできることもいくつかあるが、とにかく最高の日々だっただろう。
それは所謂「特別な日」も沢山あったが、なんてことない日もあった。しかしどちらも等しく比べ物にならないくらい最高だったという事だ。

小さい頃からアフリカに憧れていた。今年はついに念願のアフリカを旅する事ができた。
そこには行動力というある種の強いエネルギーが存在していたかもしれない。どんな不安も(例えば経済的に無理があるとか、治安大丈夫かなと言った心配など)そんなものはないと信じ込み、ただ自分が過去の自分のために、そして今の自分のためにできる事、ワクワクする楽しそうな事を遂行した。

それは特別な事だっただろうか。確かに特別な景色を見たかもしれない。掛け替えのない出会いもあったかもしれない。
でも全ては一重に、自分を信じる、自分を楽しませる毎日の積み重ねの先に自然に行き着いただけだと考えている。

土いじりも、音楽つくりも、美味しい味噌汁が作れた日も、旬の食材をいただいた日も、図書館でいけてる本見つけた日も、娘の描く絵が面白かった日も、全てただの日常。全部特別で最高な日常。アフリカ行きも、妻の作るキムチ をご飯の上に乗せて食べる喜びと、何ら変わらず等しい。
一日もよくない日なんてなかった。

強いて言うなら
2022年、ただただ「機嫌よく」あろうと意識していた。
逆境的なもの。おそらくあった。普通に考えてピンチな感じ。あった。
でも思い出せない。今もそうかもしれない。でも具体的な例は浮かばない。

気にしていない。これに尽きるのだ。

気にせず楽しい事だけ考えている。いや、全部が勝手に楽しい事態になる。
気にしてないと、全部楽しい。満たされている。既に全部ある。

繊細なんだか鈍感なんだかわからなくなるが、人はおそらくどちらの面も持っている。
繊細だからこそ、大切なものをすくい上げることが出来るし、その本当の重みに気付いたら、他の事なんてどうでも良いやと鈍感になることもできる。

大切なのは今を生きることなんだろう。
今、目の前にある事柄、人、時間をただただ楽しむ。そうするとなんだか有難い気持ちになる。それを毎日繰り返すだけ。もはや幸せなんて言葉も溶けてなくなってしまいそうだ。全ては常にそこに「ある」から。

それが見えなくなるのは、多くの場合人と比較してしまうからだろう。
人より優れているか、幸せか、良い人生を送っているか。そしてその比較の単位は何か?お金か、名誉か、人に求められているか。しかしそのほとんどは比較することでしか生まれない概念だ。
何もなくても機嫌が良ければ、お金も必要ない、評価される必要もない、というか一人でも構わない。それなのに何故だか多くの人は、未来の自分により多くの何かを求めて生きる。今の自分の頭を撫でてやることもせず。

アフリカで出会う人たちは今を生きている人が多かったと思う。
南アフリカのミュージシャンたちは先の予定はまあタイミング合えばって感じだったし、その瞬間の”流れ”で未来が可変していくことを知っていた。
タンザニアをもっとゆったりしていて、野良猫のようにゆったりと過ごす人たちのほとんどが、その日暮らしの商いをしていただろうし、それでも陽気に「ハクナマタタ!(なんくるないさ)」を連呼しながら生きている。

みんな今を生きているように感じる。もはや「今」しか無いとも言えるかもしれない。

今を機嫌よく生きて、その時楽しいことを実行し、面白そうだなと思う一手を行動に移してみる。アフリカで学んだことというよりは、自分の生き方を振り返った先で、アフリカでふに落ちたという感じだろう。

しかし結果として毎日楽しいし、毎日特別だし、毎日普通だとも思えている。
リスペクトするアーティストさんと一緒に音を出すこともできたし、アフリカの友人から連絡来るし、まさか写真展やるなど思ってもなかった新しい試みもやってたし、まあそんな感じなのかもしれない。とにかくいつの間にか周りに機嫌の良い人たちが集まっている。笑

一人でも全然満たされているんだけど、いつの間にか「名前を呼んでくれる」人が増えてるって有難いことだ。振り返るといろんな人の顔が浮かぶよ。皆さんありがとう。

さて、そんな感じで相変わらず今年も目標という物がない。

1年前にもそんな記事を書いていたんですが、読み返すと、中々いい線いってるけど、まだまだ力んでるなーと感じます。柔らかさがね、もうちょいね。笑
今はもっとシンプルな答えに行き着いている。勿論、この頃の考えがあるから今に行き着くわけですしね。だから来年はもしかしたら今の自分すらも「まだまだやったなー」とか言ってるかもしれません。それは楽しみなこと。でも、今想像する話じゃないんですよね。今を生きた先で振り返った時、転がっているものなんですよおそらく。

そんな感じで僕たち家族は、2023年もひたすら”今”に機嫌よく生きるだけだろう。

でもその結果、また面白いことが起こっているのは間違いないのよ。
だって今が楽しいんだから。

さて、寒いのが苦手だと思い込んでる私だが、この際この寒ささえも楽しんでみたいものだ。


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