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アフリカ旅のまとめ 〜超大陸が人の心にもたらすもの〜

霧が深く、肌寒いいつも通りのケープタウンの朝。僕らはまた空港へと向かった。
別便で帰る友人達と分かれて、一人でこの文章を書いている。



小さい頃から憧れたアフリカ。
思えばいつからだっただろう。小学校低学年の頃に、図鑑で見たアフリカの自然を図工の時間に粘土で再現しようと試みた事がある。心地よい集中の時間だったのを覚えている。
マサイ族をはじめとしたトラディショナルな部族の数々にも興味があった。
北アフリカに話を移せば、エジプトの歴史に夢中だった時期もあるし、中学生になればスポーツなどにおけるアフリカ人の身体能力やバネに胸を震わせていた。16歳からはアフリカの音楽に、大人になってからは植物に惚れ込む。

民族やその風習の面白さも豊富だ。

僕の人生において、アフリカは切っても切れない存在だ。
そんな憧れの場所についに到達できた喜びは中々に言葉では形容できない。

憧れの地はやはり雄大な自然に恵まれていた。
その桁違いのスケール感にアフリカ大陸の大きさを実感する。

色も匂いも、空気も、暮らしも、日本とは遠く離れた別世界を感じさせた。
人々は音楽を愛し、音楽が文化として、営みとして自然に社会に溶け込んでいた。

最初は家族で来ようと思っていた。
しかし現地の治安や自然がどんなものか、想像がつかないという不安と、燃料費の高騰、ドル高円安を背景にフライト代が2-3倍と高騰する今、リスクが大きすぎるかなと見送った。

友人たちと身軽に動き回れた結果、それなりのスリルや危険性も体験しながら、自分達なりのアフリカの歩き方がわかってきた。
まずは僕たちが何も失うことなく、無事に帰国の飛行機に搭乗出来ていることをありがたく思う。

そしてこの経験を活かして、家族で再訪する事が出来れば、今回の旅の意味合いも一層大きなものになるだろう。


アフリカでは人と人とが仲良くなるのに時間はかからない。会ったその瞬間から言葉を交わし(例え辿々しい英語でも)、コミュニケーションを取り、いつのまにか友達になっている。
南アフリカでの移動は全てUberで行ったが、そこ十数分の乗車でも、簡単に意気投合し車を降りる頃には「ありがとう兄弟!」と言ってハグしたり、SNSの番号を交換する事が何度もあった。
言語の違いは逆に大きなアドバンテージとなり、お互いの言葉を教え合って大笑いした。
このボーダーレスな人と人との繋がりは、アフリカの人たちが元々よく人と会話し、密にコミュニケーションを取ることに由来するかもしれない。本当にみんなお喋りが好きだ。
しかし例えば自分の子どもが、この経験を出来るならば、人とのコミュニケーションの概念にも大きな変化をもたらす事はおそらく間違いない。

特にタンザニアの屈託のない人々、ハクナマタタ(なんくるないさ)とポレポレ(ぼちぼち/ゆっくりゆっくり)を合言葉にどんどん話しかけてくる彼らと接していると、世の中の色々なしがらみが最早どうでも良く感じた。
いつも明るい彼らはおそらく大半がその日暮らしだ、それは日本人から見れば先行きの不安な貧しい暮らしかもしれない。
しかし少なくとも、僕にはそれが幸せそうに見えた。

僕は常に生きる意味や人生の意味、時間の意味を考えながら生きている。
これまで過剰にまでに全ての事柄に「なぜ?」を問うその生き方は、僕の正しさであった。
それに比べて彼らはどうだろう?人生の意味や生きる意味を日々考えているだろうか、将来に明確なヴィジョンを持ち、そこに向かって時間を有効に活用しているだろうか。
否、そんな事はない。ではどうだろう、そんな彼らの暮らしを怠惰として見るだろうか?
そんな気にはなれない。僕の正しさを彼らに向けた時、それはとても一方的で暴力的な考え方のように見える。多様性とは何だろうか。

人生の意味を考えるのは楽しい。
しかしそれはあくまで自分にだけ向けられた物だ。他人を同じフォーマットに当てはめて見ることはとても愚かな事。そう気付かされたような気がした。
ハクナマタタで良いのだ。たとえ目標がなくとも、その日暮らしであっても、彼らの幸せがその日々の中にある。側から見ればくだらなく感じるかもしれない。しかしそれで良い。そう思えると、全ての人たちに対して、「そのままである事」を肯定できる。
勿論僕の子どもや近しい人たちにも。

タンザニアの人々から学んだものはとてつもなく大きかったようだ。



旅の途中、至る所で貧富の差を見せつけられた。
ケープタウンなどの都市では特に、物乞いが多く、大きな交差点では、信号待ちの車を捕まえて果物や謎の観光グッズを手売りする人たちが沢山いる。
高級住宅地に住むのは白人達で、車で数分走れば黒人達の住むスラムが広がった。
中心地ケープタウンシティでは、高級車販売店やハイエンドなブティックが立ち並ぶ。オーナーはほぼ全て白人で、通りで物乞いしてくる人たちは勿論全て黒人だ。
そこには圧倒的に支配階級と労働階級との差が存在するように感じた。
勿論それによって、沢山の雇用が生まれている事も事実だと思う。何かが悪いという簡単な話ではない。
実際に南アフリカの都市には仕事を求めて、アフリカ中から人が集まっている。

こういった形はアフリカの至る所で見られた。タンザニアはザンジバルというリゾート地でそれを感じる事が出来るし、エチオピアは特に中国資本の建物や企業が多く見られる。それによっておそらく沢山の雇用が生まれているし、インフラの発達にも良い影響があるはずだ。しかし国内の土地や資本がジワジワと切り売りされているのも事実だと思う。
この辺りは日本も完全に同じ轍を踏んでいる気がする。全くもって他人事では無かった。

少し話が逸れた。

南アフリカでは都市を離れて数百キロという道のりを移動した。点在する田舎町はそれぞれ本当に小さく、その土地に根ざした質素な暮らしを沢山目にした。しかしそんな田舎町で物乞いを見ることは一度もなく、人々はみな温かく親切に接してくれた。そこでは貧富な差はそれほどなく、皆んながある程度同じような経済状況で、同じような暮らしをしている。住民達はその暮らしにいくつもの小さな幸せを見つけているように見えた。
(一度も町を出た事が無いからつまらないわと話していた酒屋のお姉さんもいたな。)

田舎町は総じて治安が良い。貧富の差と治安という部分は完全に比例するような気がするが、あながち的外れではないと思う。
AirbnbやBooking.comのおかげで、田舎町の宿に泊まるのも容易に出来る時代、アフリカ旅は絶対に田舎を経由した方が、得難いものになるというのは今回の旅の重要な教えであった。(寧ろ田舎メインでいきたい笑)



陽気でフレンドリーな人々、口ずさむ歌、都会から田舎までどこにでも音楽が溢れている。
独自の文化や言語も沢山ある。スワヒリ語なんて口にするだけでハッピーな気持ちになる。

自然は桁違いのスケールで僕らを迎えてくれるし、一生忘れないような美しい景色を沢山見ることが出来た。動植物の豊かさも言うまでもない。

荒野に生きる力強い草花と雲ひとつ形成しない空。



僕にとってのアフリカとは何だろうとずっと考えていた。
それは小さな頃からの憧れ、全方位的に好奇心をくすぐる魅惑の大地。
そして今回の旅を通して、その印象がより色鮮やかに浮かび上がるような立体感を持ち、圧倒的な多様性とリアルという新たな印象も加わった。

そうして、アフリカとは、興味があるけれどもまだ行った事の無い人や、次世代の子ども達に是非とも経験してほしい場所という意味合いが生まれた。

旅を通して、コミュニケーションを通して、これまで僕の内側だけで完結していたインサイドなアフリカが、一気に花開き、誰かに繋がっていくような感覚を、僕は今感じている。


最後に今回の旅を一緒に過ごした友人夫婦に最大の感謝を。
無茶な旅についてきてくれてありがとう。二人がいなければこんな素敵な旅になる事は無かったと思う。この経験を共有できる人がいるなんて幸せすぎる。
本当にありがとう。


さて、今度はいつアフリカに帰ろうか。笑

アフリカ旅編 -完-

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