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「気持ちいい」という最強の行動理由。-幸せの自己完結と世界の拡張-

フリースクールに迎えに行く度に、娘はいつも屋根の上からひょこっと現れる。
思えば、子ども達が屋根の上に登っている写真をHPで見て、彼女は「行ってみたい」と話していた。
通いはじめて9ヶ月くらいか、相変わらず屋根の上が彼女の主戦場。一緒に登ろうよと誘われるがままに登り、屋根の上に2人で腰掛けながら「どうしてそんなにここ(屋根の上)が好きなの?」と聞くと「だって気持ちいいもん」と娘は答えた。
気持ち良いからそこにいる。選ぶ。どれだけの大人にそれが出来るのだろうか。
すごくシンプルな、感覚的な言葉のやりとりにこちらがハッとさせられる。
そうして彼女は昨日も屋根の上から登場し、今朝は時間ギリギリまで布団から出てこなかった。自分がとても心地よいと感じる"屋根の上に登る"という行為を遂行するための体力を温存していると妄想すると、こちらもニヤニヤしてくる。

それでも僕がゴミ出しに行っている間に、いつの間にか起きてフライパンの上に放置していた目玉焼きを皿に取り分けて朝食の準備を進めていてくれた。結構稀なのでびっくりしたのだが、社会の中での動きも少しずつ理解している最中なのかもしれない。
その後フリースクールに送っていったところで、娘がお弁当を忘れてきたことに気づく。朝のバタバタの中でどうにかこしらえたお弁当を忘れてくるなんて!とついつい「えー!せっかく作ったのにー!」と私主体の言葉が口から溢れ落ちてしまったが、彼女からしたら遊ぶこと(例えば屋根に登ること笑)が主軸で来ている場所なので、そこに強くフォーカスしていれば弁当を忘れるなんて大いにあり得るなと一呼吸。幸い周りの家族や友人たちに少しずつ分けてもらいながら即席のお弁当を生成し、彼女もちょっとやっちまったって顔してたし、まあ次から気をつけようね〜というのと誰かがお弁当忘れたら助けてあげようね〜っていう話だけしてひと段落。
子どもに学びながらも、ついつい感情がピクッと先導してしまう事にしまったなーと思ったり、でもこんな気持ちになったよーって感情を伝えることも大事だよなとかどちらの側面も大切だから人間って複雑だし奥ゆかしいと笑う良い朝だった。


その後は友人がミニトマトの定植作業を手伝いに来てくれて、とても助けられたし普段の1人での農作業とは違った楽しさを感じることが出来た。
一旦家に帰るタイミングで別の友人から連絡が入り、リリース予定の音源のアートワークを描いてみたとデータが送られてくる。これがとても好みのもので、僕はしばらく笑みが溢れるのを抑えられなかった。その音源を共作してる別の友人にすぐにシェアし、良い感触を確かめ合う。
どれだけ素晴らしく面白い友人たちと楽しい時間を共有できてるのだろうと、嬉しい気持ちになる。こんなありがたいやつ中々いないだろうな〜と。
どう考えても良い一日だ。



でも全ては、1人でも既に満たされていることが前提かもしれない。僕の場合は。
冒頭の娘の発言にここで立ち返る。「だって気持ちいいもん」。これは彼女1人でも完結している感覚だろう。
自分の心地よさを他人がどう思うかでなく、自分の心ベースで既に発見しているとは、どう考えても豊かなことだ。僕も自分が思う"だって気持ちいい"ことを羅列したくなる。
楽器や音楽制作の中で理想の音を探す作業はとても心地よいものだし、音楽を聴く中でも同様の発見があると、小さくだが確かに心が震える。畑で単純な作業を繰り返しながら、そこに没入したり一定のグルーヴを感じるとなるほどなっ(ニヤリ)とか思うし、集まる虫達を観察している時間はあっという間に過ぎ去る。水に触れてる時、揺れる光や炎を見る時、ずっとその時間が続いてほしいように思う。この文章を書いている間もとめどなく筆は走る。きっと全てに理由はない。ただ楽しいし、心地よいと感じているのだ。
そしてそれらは僕が例え1人でいても感じられるもの。僕は自分の悦楽を完全に自己完結できる上でとても幸福だと思うし、これらの中には特に子ども達から学んだものが沢山あるなと思う。


僕の人生は1人でも完璧だ。
でも今日を振り返ってみよう、僕の個人ベースの悦楽を面白いと思ってくれる人達に支えられて、共感し合って、より一日が満たされた。満たされるどころか溢れてる。そしてその気持ちをここに記すに至る。
この人生を誰かが更に面白いものにしてくれる。まだ知らない視座を与えてくれる。

しかし僕が誰かに共感してもらおうと意図して投げたものはおそらくない。自分の心地よさがベースだからだ。それは強い偏りを生んでいるが、その人にしか構築できない世界や価値基準にこそ個人の悦楽が集合していると僕は思う。その集合体の純度が高まれば、勝手に面白いねって言ってくれる人に出会えてるのではないだろう。いつの間にか。
1人でも楽しいはずの世界を、より面白いものにしてくれる仲間たちには只々感謝だ。

最近はとても尊敬し、大切にしたいなと思う人も身近にいて、ここで更に世界が拡張している。心地よく生きている人から学ぶことって沢山ある。生きてきた道程も全く違うかもしれないけど、それぞれが感じる日々の美しさを共感、共有したり、そんな世界があるのかと知っていく事を楽しめるというのはすごいことだ。
(あと消費よりも生み出すことの面白さを知っているって大事だなと思う。消費は価値を外側で決められたものしか流れてこないけど、生み出す行為はそこにその人らしい価値基準を構成する断片が確実にある気がして。)

子どもとの事、親との事を考えても人間関係というのは常に難しい。幸せを自己完結できるようになった今は、無理に他人と関わらなくても良いなと思う場面も沢山ある。でも人との出会いやディスカッションは、既に見つけていた幸せを拡張させる好気かもしれない。でも全ては個人の幸せが、他人の視点なんて関係ないところで、パーフェクトに完結することが大前提であるのは言うまでもない。

今日を彩ってくれた我が子に、仲間たちに、あの人に、そして僕自身に感謝。
明日も"だって気持ちいい"事を積み重ねていこう。

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