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「好き」の物質論

先日、私は「好きと嫌いと信じること」のタイトルで文章を載せました。あれから「やはり『好き』って難しいよなぁ……」と、「好き」について考える機会が大幅に増えたんですね。
そこで今日は、「好き」を徹底的に深掘りしていっちゃおうと考えています。では早速。

「好き」ってひとつではないですよね。当然と言えば当然かもしれませんが、「好き」にもさまざまな形の「好き」があるわけです。そしてここでは、その「大きさ」や「密度」の違いについて考えていきたいなと思うのです。
なんだよそれは、と思うでしょうか。

いきなりですが、抽象的な話をします。
私、「好き」についてあれこれ考えたのです。その結果、「好き」には「大きさ」と「密度」の2つの観点があるのではないかという仮説が思い浮かんだのです。まあ、とりあえず以下の例え話をご覧ください。

例えばの話。あなたは、あまり親しくない友人が、自分の好きなバンドと同じバンドが好きだと知り、声をかけることにしました。例えばあなたが、

「このバンドはとにかくカッコいい!歌詞も良いしメロディーも大好き!ボーカルの声も本当に好みなんだ!」

と言ったとしましょう。よくあることですよね。

では、友人がこう思っていたらどうでしょう。

「このバンドの良さかぁ。まず全体的に暗い歌詞の曲が多いんだけど、どこかに必ず希望の光のような歌詞があって僕は特にそこが好き。メロディーは高低差が少ないのにちゃんとサビで盛り上がっていて、コード進行もおしゃれ。ボーカルの透き通った声と訴えかけるような発音の仕方にも惹かれるよね」

この2人、「歌詞もメロディーも好き」「ボーカルの声も好き」という点で共通しているとは思うんです。しかしおそらく、2人とも互いの説明に納得しないと思います。あなたは友人に対して、「そんな細かく考えてないよ…」と思うでしょうし、友人は友人であなたに「そんな薄っぺらい感想並べられても…」と困るわけです。

その様子は、物質で言うところの「大きさ」や「密度」の違いに似ている。

この話で言えば、あなたの「好き」は、大きくて密度が小さいんです。「カッコいい!」「大好き!」という言葉は、全ての「好き」を一括りにしている点で、大きい。大きいというより、粗い。例えるなら、風船みたいな感じ。そして「好き」を理解してもらおうとその風船を相手に投げると、自分の中にその風船と同じ大きさの空間が空くと想像しましょう。風船の形の空間が空く。

それに対して友人の「好き」は、細かくて小さくて、密度が大きい。あなたの「好き」が風船なら、友人の「好き」は野球ボールくらいかもしれない。そして友人もまた、この「好き」を相手に投げるとき、彼の中にその野球ボールと同じだけの空間が空く。野球ボールの形の空間が空く。

互いが互いの物質【好き】を交換したとき、それは空いた自分の空間に、上手く収めることができるでしょうか。

それは難しい。

私はずっと、そういうことが言いたかった。

ただ闇雲に「大きな好き」をぶんぶん投げつけたところで、相手によっては、相手の「空間」に収まり切らない。逆に、「小さな細かい好き」をごろごろ転がしたところで、相手によっては、相手の空間を充分に満たすことができない。または、重さで空間が変形してしまう。

そういうことが言いたいんです。

もちろん、私たち一人一人が持つ空間はひとつではないでしょう。
無数にあるんです。でも、それは風船ばかりではない。野球ボールばかりでもない。あなたはきっと、大きな風船も小さな野球ボールも、ビー玉も、バランスボールも持ちうる。持っている。色々な形の「好き」を持っている。だから、それぞれを大切にしたいんです。

相手の空間を過不足なく満たしてあげられるような、そんな人になりたいなあなんて思います。なれるかな。なれたら素敵。

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