セイシャインとして生きる「意味」を問う - 2022年の振り返り

セイシャインとして生きる「意味」の喪失

なにをしていたのか - セイシャインとして

 管理職という職責と、PdMという職責と、そもそもの自分のWILLの不一致に気づきながらも、なんともなしに手を打てずに半年ほどが過ぎていた。
 それぞれの職責のなかで、少しでもWILLに通じる部分に齧り付きながら、それでも職責というMUSTを求められることで疲弊していた。

なにをしていたのか - 一人の人間として

 一方で自分の事業は順調そのもので、RoIで考えたら正社員よりよほど収入が良い状況にまで到達していた。日に日に案件数も増え、定時後の時間が忙しくなる一方で、基本的なモチベーションがこちらに傾きつつあることを実感し始めていた。
 近い将来に達成を目指していた目標の幾つかを達成できる見込みがついたことで精神的にも余裕が出来たとともに、余剰資金でもって本当に多くの経験を得られた1年になったと言えるだろう。

 春を過ぎて梅雨の季節、半年を経て振り返ったときに、果たして現在のポジションに価値があるのかと考えるに至った。
 そもそも、この状況で何故セイシャインである必要があるのか。とりわけ「意味」を大切にする都合と、管理職として他者を評価させていただく機会に富んでいる都合で、ざっくり30人超の様々な方々の未来と現在に向き合ってきたが、彼らに恥じない状態であるだろうかと自問したときにセイシャインとしてその会社に所属することの「意味」を失ったように感じている。

過ちはなんだったのか

 そもそもスクラムマスターとして雇用されたはずなのに、部長と複数プロダクトのPOに任命されているという状態が果てしなくすれ違いを生んでいるわけだけれど、その中で最低限のWILLを拾いながらなんとか求められたことに貢献しようとしすぎたのではないかな。
 一般的には責任を果たすことは美徳だと捉えられるし、任せられたからには責は負うべきである。理性的には理解する。だが結局のところ生物としての感情はさほど納得していなかったんじゃないかな。

 モチベーションには外的なものと内的なものがあるが、重要なのは後者であり、結局のところそれを失ったのだからモチベーションなど生まれ得ないのだ。自分のモチベーションで仕事を選ぶことに否定的な意見もあるだろうけれど、2年やって生まれないならしょうがないかなって感じ。

2023年に向けて

すでに1/4ほどが片付いてしまっているが、思ったより「やりたい」ことに自由に取り組めている印象で、ゆっくりやれていると思う。

大切なのは評価されることだけではなく、自分が見たい世界二どこまで近づけていけるかという挑戦をすることであり、そこに何らかの経験値を積めることだと思うから、内発的な動機があるうちはいくらでも走れるだろう。

やりたいことがいっぱいあるけど、そんな状態を破壊しないように、ハードとソフトに訴えかけながら、急がず少しずつ片付けていこう。

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