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なぜ三豊に人が集まるのか?

私は今、香川県三豊市のブルワリーの立ち上げを手伝っている。そのため三豊の街によく訪れる。

最初に関わっていた頃は知らなかったが、この街は「何やら人が集まる面白い地域」として注目を集めているようだ。

私が活動している鹿児島県日置市でも、香川で少し手伝っているという話をしたら「三豊?」とすぐに名前が出たほどに県外へも認知されている。

せっかくこの三豊に関わっている私としては、なぜこの街に人が集まっているのかを考え、学び、少しでも日置市の動きに活かしていきたいと思う。

※又聞きなので事実と異なる部分があるかもしれない点はご了承ください。

1. 楽しそうに街のストーリーを語る「風の人」

街の外から来たよそ者を、街づくりの文脈では「風の人」という。三豊の街には、かなり強力な風の人が何名かいる。その人たちがある種の広告塔となりながら街の魅力を外に発信し、街に人を呼び、魅力を伝えていく。

その「風の人」たちは、はじめにこの街の歴史や文化を徹底的に勉強したらしい。それはもちろん地域住民に受け入れられてもらうためでもあるだろうし、何より魅力を伝える側の人がその魅力を知らない限り誰にも伝わらないからだろう。

例えば「父母ヶ浜」。今や、一枚の写真がきっかけで一大観光地となった場所だが、この場所には物語があった。

遡ること1994年。父母ヶ浜は、地形的にも珍しい遠浅で子どもたちの遊び場となっていました。四季折々の夕陽を見ながら通勤や通学をする。地元の人たちに日常風景として愛されていました。しかし地形上、瀬戸内海中のごみが流れ着くため海岸はゴミがいっぱい。 そんな中で父母ヶ浜は工場誘致を視野に入れた埋め立ての構想が浮上しました。
こんなにも美しい海岸を埋め立てて良いものか。そう感じた地元の人たちは、この美しい浜を守るためのささやかな抵抗として海岸掃除を始めます。
その想いが多くの人に伝わったことで、埋め立ての計画は中止されることに。
今や一大観光地となったこの綺麗な景色は、地元の住民の想いによって支えているのです。

参考:三豊市観光交流局


「風の人」は、外から三豊に呼んだ人にそんな話を語ってくれる。「俺たちの街っていいだろ?」って少しドヤ顔をしながら。

街の魅力を「土の人(地元の人)」が語れることはもちろんだが、「風の人」が誇りを持って話すことに価値があるのだろう。

私の街の日置市も、戦国島津に関する歴史を全面に押し出した街づくりをしている。もちろん、街の特徴となる昔の歴史を押し出すことも重要だ。

ただ、僕自身はその歴史自体を理解することはもちろんのこと、もう少し手前にある歴史をたどりながら物語を見つけていくことをしていこうと思った。

歴史は、街の人が自分自身の物語として語れるものであるべきだ。今の景色に地続きになっている物語こそが求心力を生む。

例えば、日置市にある日本三代砂丘の吹上浜を守ってきた歴史なのかもしれない。そしてもし物語が無かったとしても、これから我々がその物語の作り手になっていかなければならない。身近なストーリーを発掘すること、紡ぐこと、可視化することが必要なのだろう。

(ちょうど最近、吹上砂丘荘の閉館が発表された。市営自体にはある程度無理があるだろうから、現状維持のための動きをしても変わらない。大事なのは街の人自身が動くことで価値を増やしていくこと、物語を紡いでいくことなんだと思う。)

2. 風の人を受け入れ一緒に組む「土の人」

多くの場合「風の人」は「土の人」と相入れずに敵対視することが多いのかもしれない。
それはまあそうだ。自分たちの地元をノコノコ外から人がやってきて、第三者的に課題があーだこーだ言われて勝手に色んなものを作られようものなら玄関を土足で入ってこられたような気持ちになる。

ただ、三豊においては違った。地元に居続け愛されてきた「土の人」が、その「風の人」を受け入れた。むしろ「一緒に面白いことしましょうよ」と手を組み、地域とのハブになってくれている。

「風の人」が広告塔となり人を呼び込み、「土の人」が受け皿へと繋げてくれる。だからこそこの三豊の街には人が集まっているのだろう。

私にできることは、「風の人」に地域の興味を持ってもらうことと、「土の人」として地域の人たちとの繋がりをたくさん作っておくことなのかもしれない。

3. 自分たちの作りたいものを自分たちで作る

僕が三豊に来て面白いなと思ったのは「自分たちの作りたいものを自分たちで作る」ということが行われていることだった。

例えば「俺たちの街にはカラオケバーが必要だ!」と言ってリアルファンディングをしてお店を立てたり、その他にも街に必要な事業や建物を複数の会社で出資し合って作ったり。そんな動きができている。

でも多分これは、最初からそうだった訳でもなく、何か一つ成功する事例ができたからこそ、そのムーブが広がっていったのだろう。

何か一つ、きっかけとなる成功事例を死ぬ気で作ること。それが希望となって街に広がっていく。 

最後に

地域の魅力は「穏やかな景色と、想いを持って活動する人々」というところに着地するんだと思う。(この言葉はPOOLO LOCALというコミュニティで出てきた言葉。)

景色じゃなくとも「豊かな生活と、想いを持って活動する人々」とも置き換えられるのだろう。何を豊かさと定義するかは人によるだろうが、昨今のような資本主義的な激烈な日々で人らしい生活を歩めずに消耗してる(会社と自宅の往復ばかりでほぼコンビニ飯で生きてた旧私みたいな)人からすると、一つの生き方の提案になるんだと思う。

これからの豊かさは地方にある。日置市の歴史を知り、物語を紡ぎ、風と土を繋げ、「おれの街っていいだろ?」ってみんなに言いふらしていきたい。

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