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二年ぶりの桜、再起動への思い

 仕事帰り、足早に駅から家までの道を歩く。幾人かの人が道端で立ち止まって上を見上げていることに気付き、視線の先を追ってみる。
「あ」
思わず声が出た。神社の境内にそれはそれは見事な桜の大木があり満開の花を咲かせている。
 
 一人でこの街に引っ越してきて数か月が経つ。心配事が尽きず、通勤の道のりもどこか上の空で過ごしている私は、この場所に桜の木があることにさえ気付いていなかった。

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 義両親に初めて夫の暴力のことを相談したのは、昨年のちょうど今頃のことだった。
「まずは私達夫婦とあなた達夫婦、四人でお花見にでも行きましょう」
義両親に誘い出されて、私達四人はお花見に行くことになった。

 それはひどく奇妙な時間だった。私と夫の間にはぴりぴりと張りつめた緊張感があり、結婚して日が浅い私は義両親ともまだ打ち解けられていなかった。義両親は夫の機嫌を損ねないようにやたら彼に気ばかり遣い、夫は終始仏頂面だった。お互いがお互いの出方を探りあうような居心地の悪さの中、私達は義父の母校のキャンパスを散策した。

 どんな風に桜が咲いていたのか、あるいは咲いていなかったのか、今ではまったく記憶がない。どのタイミングで暴力のことを話し合うつもりなのだろうかとただやきもきしていたことだけを覚えている。
 
 散策を終えた私達は近くのファミリーレストランに入った。義父母と私が思い思いに飲み物を注文する中で、夫一人だけがスパゲティを注文した。義母がまるで食べ盛りの男の子を相手にするようにそれを勧めたからだ。
 
 本題の口火を切ったのは義父だった。状況が落ち着くまで夫のことは実家で面倒をみたいと。たちまち夫は火が付いたように反論した。
 実家からは仕事に通いにくい(当時彼の生活はすでにアルコールですっかり荒れており、ほとんど出勤できていない状況だったのだが)、子ども扱いするのはやめてくれ。
 義父はあっという間に折れた。きちんと生活すると約束するならば実家に連れて帰るようなことはしないと言い、夫はきちんと生活するとオウム返しに答えた。

 そして、それがその日の結論だった。
 当事者の一人であるはずの私は口を挟むことすらできなかった。

 渦中にあった昨年の春、桜にまつわる記憶はこれだけだ。
 話し合いの場でこれほどないがしろにされたのはおかしなことだったと気づいたのは、ずっと後になってからである。

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 神社の境内で桜の大木を見上げながら、私は二年ぶりに桜を見るような思いだった。怯えたり、緊張したりすることなしにゆっくりと花を愛でられる穏やかさと豊かさとをじんわりかみしめた。

 夫から逃げるように家を脱出してきたのが正しいことだったのかどうか、私にはまだ分からない。それでも、こうして自分の生活を自分自身の手にしっかりと取り戻せたことが嬉しいと思う。今の私はもう誰かの顔色を窺ったり、誰かの怒鳴り声を恐れたりする必要はない。
 私の毎日は、たしかに私のもとに帰ってきた。

 厳しい冬を越えて一斉に花を咲かせた桜に重ね合わせるように、私はこれからの生活のことを考えて思いを巡らせている。


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