依存症恐怖症

 「依存症」が怖くてたまらない。

 時折、会社帰りにふと思うことがある。今日は疲れたからお酒でも買ってみようかな。しかし、売り場に立って考え込んでしまう。今日の一杯が明日の二杯になり、やがて歯止めがきかなくなる日がくるかもしれない。
 私はそそくさと売り場を離れる。

 新しい春物の服を買いたいなと思って百貨店に出向く。ここでも私はふいに怖くなる。「買い物依存症」という単語が頭をよぎるのだ。
 私は手ぶらで家に帰り、「買い物依存症」というキーワードで延々とWEBを検索しては、買い物依存の女性達の書いた文章を震えながら読み漁る。

◆ ◆ ◆

 結婚して半年で新婚の夫がアルコール依存症で入院するという大変稀有な体験をした。後になって分かったのは、彼は結婚前からアルコールの影響による身体の不調を抱えていたということだ。彼は実に巧妙にそのことを隠していたのだ。
 取り繕った体面は結婚生活が始まってすぐに崩れ去った。入浴もせずにだらしない服装でベッドにお酒を持ち込んで酔いつぶれる彼の姿は、あまりに哀しいものだった。
 
 依存症の恐ろしさは、大切だったはずのものを全く大切にできなくなることだと思う。
 例えば仕事。酔いつぶれては連絡なしに欠勤を重ねたことは、彼の積み上げてきたものをあっというまに崩壊させたことだろう。
 例えば家族。酔っぱらって暴言を吐くことや暴れることは、たちまち家族の信頼関係をずたずたにし、新婚の家庭はぎすぎすした監獄のような場所になった。
 例えば大人としての自立。お酒でトラブルを起こしては当たり前のように義両親に世話を焼かれることは強烈に彼をスポイルしていったように感じる。
 今まで大切にしてきたもの、これからも大切にするはずだったもの、それらの価値を「酒」が上回った時、人は「依存症」という暗い淵から出られなくなってしまうと思うのだ。

 晴れ晴れとした顔で将来の希望を誓った男性が、たった半年でこの淵に引き込まれ、転がり落ちるようにはまり込み、そこから出られなくなる過程は、震えあがるほどに恐ろしいものだった。遠い世界のことだと思っていた暗い淵が思わぬほど身近なところで口を開けていたという事実を知り、私はとてつもなく大きな衝撃を受けた。
 そして、依存症のことを学ぶほどに、その淵がどこにでも存在しうることを私は知っていった。「ストレス」「不安」「孤独」「自信のなさ」、誰にでも起こりうる辛さの果ては人知れず依存症の淵に通じているのだ。

◆ ◆ ◆

 今、私は必要以上に淵の存在を恐れている。夫との別居生活で気持ちが不安定な今だからこそ、淵に引き込まれる時はあっという間だろうと怯えている。
 こんな風に自分のリスクを冷静に捉えられているうちはおそらく私はそこに引き込まれることはないのだろう。むしろ、恐れすぎていることのほうが日常生活に悪い影響を与えるかもしれない。
 恐怖心と冷静さを行きつ戻りつしながら、健康な感覚を取り戻すまでにはまだまだ時間が掛かりそうだと、遠い道を前にしたような途方もない気分になる。

 
 

  

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