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もっと泣いたりわめいたり

 区役所に一人で離婚届を出しにいった日からあっというまに一年余りが過ぎ、2017年も終わりを迎えようとしている。元夫と暮らしていた短い日々や、その暴力から逃げて隠れて暮らしていた日々が幻であったかのように私は平穏に毎日を過ごしている。
 自分はすっかり離婚のショックから立ち直っているように見えるはずだ、と思う。この一年でがつがつと転職をし、友人達と何度か国内旅行をし、欧州3か国に出張に出掛け、ヨガと英会話教室に通いはじめた。笑ってしまうくらい典型的な「独身生活をエンジョイ」するフルコースを歩いている。ヨガと英会話なんて、なんだかもう女性誌に載っているみたいな組み合わせだ。

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 一方で冷めた頭で思う。「一体自分は誰に向けて立ち直っている風を装うポーズをしようとしているのだ」と。
 未だにじっと黙って過ごしていると悲しい出来事ばかり思い出してしまうこと。そのせいでお風呂でも布団でもスマートフォンやKindleを持ち込んでせわしなくそれらを触って思考に蓋をしていないと落ち着かないこと。子どもを連れた同年代の夫婦を見ると訳もなく胸を締め付けられるような気分になること。それほどに家族やパートナーを持つことに憧れを持ちながらもそれに対する明るい希望を持てないでいること。
 立ち直っている風を装ってアクティブに生きているふりをしてみても、気分の落ち込みや心の傷はどうしようもない。見て見ぬふりをしようとしているけれど、本当にどうしようもない。
 そんなふりをする必要はないのだから、無理をせずに泣いたり愚痴を言ったりした方が幾分かでも心は軽くなると思うのだけれど、私はそれがうまくできない。

 元夫がアルコール依存症で入院していた病院の医師に言われたことを覚えている。
「奥さん、あなたはもっと泣いたりわめいたりした方がいいです」
 渦中にいたあの頃から、私はずっと泣いたりわめいたりできないまま、気持ちの奥底に鉛のような塊をどこにも吐き出せずに抱えたままでいる。吐き出されずに蓄積された感情はどこにも行き場がなく、生活に影を落とし続けている。

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 格好つけてアクティブで頑張り屋な自分を装うのもまあ悪くはないと思う。でも、離婚という大きな転機を経て分かったのは装うことには明らかに限界があるという事実だ。どれだけ前向きなふりをしてヨガと英会話を習ったって、悲しいものは悲しいし、苦しいものは苦しい。
 胸にたまった塊は吐き出さなければいけない。そのためには格好悪くても、周囲にどう思われるか怖くても、泣いたりわめいたりした方が良さそうだ。  
 新しい年に向けて思うのはもう少し肩肘を張らずにリラックスして過ごそうということだ。離婚についてはだいぶ熱も収まりつつあるので、今さら力いっぱい泣いたりわめいたりするのは難しいかもしれないけれど、少なくとも前向きなふりをして格好つけようとすることは辞めてしまおうと思う。悲しいことを思い出したら、遠慮なく悲しい顔をしたって良いではないか。それで幾分かでも心が軽くなるならば、前向きを装って格好つけるよりもずっと健全だ。

 幾分か力を抜く。幾分か荷物を軽くする。
 さて、来年は一体どんな良いことがあるだろう。

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 また来年もマイペースで文章を書いていきたいと思います。みなさま、どうぞよいお年を。

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