見出し画像

初めて一人暮らしをした街

 夫の暴力から離れるための逃走生活が始まってから、一度引越をした。

 最初に逃げ込んだのは、自宅から徒歩20分ほどの場所にあるマンスリーマンションだった。家具から消耗品に至るまで、すべてを不動産業者が揃えてくれたから、私はほとんど身体一つでそこに転がりこんだ。質素でありながらなにもかも揃っている環境には本当に救われた。仕事の合間の土日だけであっという間に引越しを完了して、新しい生活をスタートさせることができた。 

 しかし、このマンションには大きな問題があった。
 驚くほどに賃料が高いのである。便利であることにはそれなりの対価を払わなければならない。数か月滞在したところで、賃料の総額はたちまち数十万円になった。これでは生活が回らない。
 生活を維持するために私は引越を決意した。

    *

 私が選んだ引越先は社会人になって初めて一人暮らしをした街だった。あまり乗降人数の多くない私鉄が一本通っているだけのこじんまりとした街である。

 美しい街並みがあるわけでもない、気の利いたお店があるわけでもない、取り立てて言うほどもないような場所である。それでもこの街は本当に「感じのいい」ところなのだ。 

 駅前の商店街は小規模だが、スーパーも八百屋もクリーニング屋もそろっている。古い和菓子屋もあれば、こだわりのコーヒー豆のお店もある。
 昔ながらの商店街のしきたり通りに、季節ごとに通りの街灯の横につけられたぴらぴらしたビニールの飾りが取り替えられる。(春はピンクの桜になり、夏は新緑になり、秋には紅葉になる)特にきれいという訳でもないのだが、昔懐かしい雰囲気は満点だ。
 天候不順で一本しかない私鉄が止まった朝には大変な騒ぎになるが、住民たちは知らない者同士で励ましあって街道でタクシーを拾い、乗り合いで近くの大きい駅に向かう。気の良い人たちばかりなのだ。

 穏やかな人たちが穏やかに生活を営んでいる、そんな街なのだと思う。
 この街には4年間ほど住んでいた。友人を家に招く楽しみを知ったのも、一人でのんびり気ままに過ごす休日の快適さを覚えたのも、すべてこの街でのことだった。ここには本当に良い記憶が詰まっている。

 新たな逃走先を探していた時、不動産業者が提示してくれた資料の中にこの街の地名を見つけて、たちまち懐かしさでいっぱいになった。資料に載っていたのはオートロックのついた安心できるマンションだった。私はすぐにその場で契約を決めた。

    *

 引っ越してすぐにかつてお馴染みだったスーパーに買い物にでかけた。
 フロアのレイアウトがすっかり変わっていてまるで別の店のようだ。当時はどこにでもある雑多なスーパーだったのに、いつの間にかワインやカラフルなお惣菜が充実したお洒落な店構えになっている。おかげで一つ一つの品物を探すのにひどく手間取った。それでも何とか目当てのものをカゴに収めて、レジに向かう。

 そしてレジで働く女性の顔を見て、私はとても驚いた。
 彼女がいるではないか。
 最後にこのスーパーに来てから5年あまり経っている。それなのに、あの頃誰よりも手早かったレジ係の女性が変わらない姿でレジの前に立っている。

 当時の彼女は20代後半くらいだっただろうか。常にきれいに切りそろえたショートヘアで、爪の先まで清潔で、過剰な笑顔はないがいつもきっちりした完璧な応対だった。私は彼女がレジに入っている時は絶対に彼女の列に並ぶと決めていた。どんなに列が長くても、必ず早く終わることが分かっているからだ。
 数年の時を経て彼女は少しだけ落ち着いた雰囲気になっていたが、やはりきれいなショートヘアで、変わらずに媚びない凛とした表情で接客をしていた。
 迷わずに以前と同じように彼女の列に並び、お会計をしてもらった。
 相変わらず光のように速かった。 

    *

 引越先の近所のスーパーで買い物をした、ただそれだけのことだけれど私はとても嬉しくなった。
 新婚早々に結婚生活が破綻したことは世界が終わったかと思うほどの痛みをもたらした。幸せだった世界にはもう二度と帰れないのではないか、そんな悲観的な気持ちに襲われることもたびたびだった。
 レジ係の女性と再会できたことはそんなもやもやした気持ちを少し晴らしてくれた。

 どんなに時間がたっても、彼女のレジは変わらずに天下一品だ。
 たとえ私が結婚生活に破れても、世界が終ってしまうわけではないし、私が好きだった人やものは何も変わっていない。

 この街に帰ってきて良かったな、スーパーの片隅で私はそう実感して、泣きたいような気持になった。

 いつか彼女と話をする機会があったならば、変わらずにいてくれたことに心からの「ありがとう」を伝えたい。


-----
(付録:私の近況)
弁護士の先生から夫にあてた手紙が発送されましたが、長いあいだ不気味な沈黙が続いています。直接攻撃されることとは別の苦しさがありますが、友人やカウンセリングの支援を借りながら、前を向いて過ごしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?