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「一人で何でもできる」はもうやめよう

 「一人で何でもできる自分」が好きだった。

 就職して一人暮らしを初めてから、私は自分のペースで何でも一人でできることのすがすがしさに夢中になった。自分の好きなもので部屋を構成し、好きな時間に食事をし、好きなように眠ることの快適さと言ったらなかった。
 快適な生活を守るために、私の「一人でできること」はぐんぐん増えていった。
 スピーカーの配線をすること。組み立て式の大きな棚を買い、自ら抱えて持ち帰り、部屋の真ん中に座りこんで組み上げること。部屋に出没したゴキブリと冷静に対決すること。38度の発熱の中で冷蔵庫を漁ってうどんを作ること。
「一人で何でもできること」は余分なわずらわしさから解放されることであり、自由になることだった。そして、そうできる自分のことを私はずっと誇らしく思っていた。

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 結婚して夫のDVとアルコール依存症の問題が起こり始めてから、この誇らしい思いはぺしゃんこにつぶされることになった。
 「一人で何でもできるはず」という思いは、私が周囲の人に助けを求めることをずっと邪魔してきた。そして一人で問題を抱え込むことは辛さを一層加速させた。 

 人が誰かに助けを求められるかどうかは抱えている問題の大きさによって決まるのではなく、その人の恐れの強さやプライドによって決まるのだと言う。私は助けを求めることで「何でもできる自分」「きちんとした自分」というセルフイメージが崩れることを恐れていたし、プライドが傷つくことを無意識に回避しようとしていたのだと思う。
 私が好きだった「一人で何でもできる自分」は「非常に悪い状況でも周囲に助けを求められないかたくなな自分」だったのだ。

 自分のこうした側面に気付くことができてから、私は少しずつ自分の置かれている状況の「悪さ加減」を認識できるようになっていった。私が置かれている状況は「一人で何とかできる」という域をとうに越えていた。そしてそこに一人で立ち向かうことの無謀さも自覚しなくてはならなかった。

 ひどく悪い状況に置かれた時には素直に助けを求めなくてはならない。
 これは一連の騒動の中で私が得たとても大切な教訓だ。

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 週末、夫との離別のプロセスについて相談するために初めて弁護士を訪ねた。コンパクトにこれまでの経緯を伝えられるように丁寧な資料を作って持参した。
 具体的にどのような支援をしてもらえるかという私の質問への回答は予想外のものだった。

「この資料はご自身で作られたのですよね」
「あなたは大変しっかりしている。調停の場に臨んでも一人で十分にやり抜けると思う」

婚姻期間が短い私のケースでは、たとえ慰謝料の支払いを受けられるとしてもごく少額に留まるだろうから、弁護士費用を払ったら大きな赤字になってしまう。一人でやり抜けるならば、その方が私にとって良いだろう。それが弁護士の男性の見解だった。 

 目の前がくらくらするような思いだった。
 一人で離別のプロセスをやり抜けるかと問われたならば、確かに回答はイエスだろう。私達には子どもがいないから、夫婦間で決めなくてはならないことはそれほど多くない。夫への恐怖心に蓋をして多少無理をすれば、おそらくやり抜ける。
 誇り高き「一人で何でもできる自分」がむくむくと心の中で首をもたげ始める。

 それでも、と思う。
 夫とのやりとりにひどく怯えている自分がいることも事実なのだ。きっと今、私は素直に誰かに助けを求めなくてはならない局面にいる。
 私に必要な支援を提供してくれるのは弁護士なのか、カウンセラーなのか、医療関係者なのか、冷静にもう一度切り分けてみなくてはならない。そして引き続き助けを求めて声をあげなくてはならない。 

「わかりました、一人でやってみます」
 以前の私であったら、その一言で、自分の感情を無視して全てを抱え込んで突っ走っただろう。
 ここで立ち止まることができるようになったのは、ある種の成長なのかもしれない。

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 適切な状況判断の下で人に助けを求めることは、サバイブしていくための大切な「スキル」だと強く思う。
 実感を伴って身に付き始めたこのスキルをきちんと育てて使いこなせるようになりたい。そんな風に考えている。

 

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