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痛みをはかるものさし

 「痛み」はとても個人的なものだ。痛みをはかるものさしは一人一人のものであり、痛みを抱える人に自分のものさしを振りかざして話をすることは、時に暴力的になまでに相手の心を傷つけることにもなりうる。
 それをきちんと理解しているつもりでも、無自覚に(もっと悪いことには全くの善意から)、痛みを抱える誰かに自分のものさしを押し付けようとしてしまうことがある。そして後になってそのことに気付いたとき、私は自分の無神経さにひどく落ち込むのだ。

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 新入社員が会社にやってくる4月。新入社員の一人と思われる女性が匿名のブログに投稿した「新入社員歓迎会がセクハラだった」という文章を読んだ。

 彼女の文章に綴られていたのは、こんなことだ。 
 「"女の子たち"はこっち」と言われて役員の男性の隣に座らせられたこと。
 延々と役員の男性の昔話を聞かされたこと。
 男性のために焼酎の水割りを作るのを強要されたこと。
 もう二度と会社の飲み会なんて行きたくない、彼女はそう文章を締めくくっていた。

 この文章を読んだ私はとっさに彼女に対してネガティブな印象を持ってしまった。21世紀になって久しいというのに信じられないかもしれないが、このような「昭和の飲み会」と呼ぶしかない風景は私の会社の宴席でも見られるものだ。もしも彼女が自分の後輩で、同様の感情を直接打ち明けられたならば、私はきっとこんな風に彼女を諭してしまっただろう。

 "おじさんたち"はただ若い人とコミュニケーションをとりたいだけなのだから、少し不器用なのは許してあげて。年配の方の昔話はよく聞くと面白いし、勉強になることがたくさんあるんだから。

 しばらく後にこのことをもう一度考えてみた時に、私は自分のあまりの鈍感さに愕然とした。
 彼女の感じているであろう「痛み」(一人前の大人として接せられない悔しさ、仕事の関係者にセクシュアルな視線で見られる気持ち悪さ、女性であるが故に何かを強要されることの理不尽さ)を私は全く無視しようとしている。仮に私が上に書いたような台詞を実際に彼女に聞かせてしまったならば、自分の痛みを理解しようともせずにただ我慢を強要しようとする同性の先輩に彼女はすっかり落胆したことだろう。
 "おじさんたち"とうまくコミュニケーションをとってスムーズな会社員生活を送ってほしいと願って、善意から口をついて出る台詞は彼女にとっては「追撃」でしかない。自分ならばこの程度の出来事は(不快ではあるが)耐えられるという私のものさしが彼女を傷つけてしまうことになる。

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 DVを受けた女性の一人として、自分の痛みを誰かに話すのがどれほど勇気のいることかを私はよく知っている。
 それは本当に怖いことなのだ。痛みを打ち明けた相手のものさしを押し付けられて「そんなことはどんな夫婦でも一度や二度はあることなんだから」なんて言われたならば、自分が痛みを感じていること自体が不適切なのではないかと一層追い詰められることになる。傷をえぐられて一層ひどい痛みと向き合わなくてはならなくなる。

 その怖さや一層の痛みを知っていてもなお、私は時々痛みを抱える誰かに対して自分のものさしを振りかざしてしまいそうになる。それは大抵の場合「そんなことは大したことじゃないよ」というメッセージを発したい場面だ。このメッセージには、相手を勇気づけたい、元気づけたいという思いが込められている。大したことじゃないから前向きに捉えていこうよ、と。
 しかし、痛みが「大したこと」なのかどうかを判断できるのは本人だけだし、「大したことじゃないよ」というメッセージは痛みを感じていること自体を否定するものとして、相手を強く傷つけることになってしまう。人を勇気づける手段としてはあまりにも乱暴で無神経すぎる。全くの善意から出たものであるが故にこのメッセージには相手の反発を封じるような響きがあることも、相手を更に追い詰めることになるだろう。

 自分に刻み付けるように、もっと強く意識しなくてはならないと思う。 「本人に代わって痛みをはかってあげる」ことは人を元気づけることには決してなりえない。
 私がしたいのは、痛みを打ち明けてくれた勇気に感謝することと、痛みを感じる気持ちに寄り添おうとすることだ。
 誰かの痛みを理解できると考えるのは傲慢なことだろう。それでも、その人の言葉を丁寧に聞いて、「痛みを感じていること」を受け入れて共感することはできる。 

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 DVの経験は私にとって悲しいことではあったけれど、人とのコミュニケーションのあり方をいろいろな場面で考え直すきっかけにもなっていると思う。
 経験を糧に少しずつ成長している自分がいることを信じている。


(付録:私の近況)
先日noteに書いたのとは別の弁護士の先生を紹介してもらっています。自分の信じる選択を胸に、下を向かずにまっすぐに前へ。

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