折に触れて(中華の見えざる手)

台湾はオランダが進出するまではさしたる記録もない歴史から取り残された島であったようだ。アタヤル族、サイシャッタ族、ヤミ族などの主要9部族に平埔族と総称される諸民族がそれぞれの言葉と習俗を持って地域を区切って住んでいたと言われる。

これら諸民族が共通の言葉を持って本格的に交流を始めるのは実は日本が日清戦争によって台湾を接収した結果、日本語教育を行なって公用語としての日本語を広めるまで待たなければならない。

そのような台湾であったので、歴代の中国王朝は手間をかけて交流や併合をすることもないと思われたのであろうか、長い間台湾を意識することもなく、正に化外の地として過して来た。現在は台湾の離島扱いになり、中国との砲撃戦の舞台で有名になった金門島を含む澎湖諸島は福建省に沿った台湾海峡の交通の要地として船泊りや中継地として活用された経緯はあるが、九州ぐらいの大きさの台湾本島までは中国人の関心は及ばなかったように思われる。


 現在は世界の大都市として誰もが知る上海でさえアヘン戦争で開港するまでは黄埔江の河口にある寒村であった。香港も広東の端にある漁村に過ぎなかった。天津もアロー号事件以降に中国最多の租界を持って繁栄する。今の東北三省(黒竜江・吉林・遼寧)にしても満州族の故郷である人口800万人ほどの北辺の僻地であったのが、ロシアが入り、日本が開発したことで数億人の人口を抱える地域となる。1949年に中華人民共和国が建国以来、80年代に至るまでは東北三省が旧満州国の余慶で中国の工業の牽引車となっていた。


 外国人が入り、彼らが開発し繁栄させた土地をその日が来れば簡単に接収し外国勢力を駆逐して行くという手法があるように思ったりもする。それを時の流れというのであれば「中華の見えざる手」とでも言えば良いのであろうか。戦前に石橋湛山が日本の植民地経営は赤字が多くて割に合わないと主張していた。朝鮮半島や台湾を経営することは決して有益なことではないと言うのである。日本がそういった地域や社会にインフラを整備し、教育を行ない、開発を進めて日本本土以上に先進的な手法を導入して近代社会の礎を築いた面は否定できないだろう。台湾は幾分なりとも日本のそういった部分を評価してくれるが、朝鮮半島はどうだろう。人生初めての仕事の接待で「日本のいた頃がいちばん良かった」と2人きりの部屋で聞いた中国東北人の言葉を思い出す。


 大きく見れば、中国という途方もない自然人とも法人とも呼べない存在に長い時間をかけて利用されただけなのか、と嘆息する。今、香港はスープを取り尽くした「鶏肋」だと見なされ、中国の面子という最後の利用価値を満足させた後に捨て去られようとしている。

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