見出し画像

人に傷つき、人に癒される。

6月に休職を始めて5ヶ月以上が経過。
先月は季節の変わり目でか体調を崩し、1ヶ月不調気味になり、「健康」であることの偉大さを痛感しています。

もう言わずもがなで心の健康もいかに大切か、ですよね。
しかも、心の方は何が効く薬(どんな環境、生活リズム、治療法、薬物療法、ひいてはどんな時代、社会情勢、家族関係、友人関係、職場関係、経済状況…?)なのかは人によって千差万別だから、色々と試行錯誤し、トライアンドエラー、一進一退を繰り返し長引きがち…。

こうしたら良くなるはずだ!と色々と試す。

とっても頑張るんだけれど、なかなか続かなかったり失敗したりして失敗体験ばかり積み重なり(積み重ね)自信をなくし、余計に立ち直るのに時間がかかったりね。
カウンセリングを通じて、私はもうそんなことを人生の半分以上続けてきたんだということを知り、そりゃ〜寛解まではひと筋縄ではいかぬよなと。

ただ一つ、休職とカウンセリングを通じて圧倒的に変化があったとすると、自分を責める機会が減った。
一挙手一投足、何をしても「だから私はダメなんだ(結果はそんなにダメじゃなくても、ダメだと言ってたと思う)」という烙印を押しまくって自分自身をいじめ倒してきた私。
そんな私が、自分はメンタル持ちの人間だと15年くらい前に気付いてからここまでの間に、緩やかに自分を許せるようになってきていたらしく。
(まさに、螺旋階段のように)

休職をして5ヶ月を経過する辺りから、自分を責めて傷つける回数が減って、「これでいいよね」「仕方ないか」「どうにかなるよね」と思える回数が増えてきたように思っている。

かといってあくまで「螺旋階段」であり、上がっては下がる。
実際、今日は自分を肯定できているが、10日前は生きている意味について考え涙していたし。

でも、「螺旋階段」だから、確実に変化はある気がしている。

それに、そうやって思い悩みジタバタしている日々。
くそ真面目に生きるについて考え、とある男に「そんな高尚なこと考えている暇あったら動け」と言われたことも大昔にあったが、それでも考えることを続けて、悩み倒した日々があったから。

後ろを振り返ればくそ真面目に沢山悩んで泣いて生きることで繋がり続けた人たちに、今も、いろいろな機会や縁をもらえている。
そうして、それがあって、生きようと思えている、そんなふうにも思えている。

つまり、一生懸命悩んでもがいて、時に人を傷つけたこともあって、そうして一番自分を傷つけて。
でも真面目であることをやめずに、やめられずにこうしてきたことが、間違いではなかったと思える瞬間が時々訪れるようになったのだ。

この感情、1年前の私には想像できなかったことで、15年前の私にはもっと想像できなかったこと。
「こうなりたい」「こうありたい」が遠く遠く、光の届かない場所にあるものな気がしていても、近づくことがあるんだなと、最近少しだけ思えています。

悩みの渦中にいると、こんな何となく前向きな話は目にしたくないし、むしろそういうものに触れるたびに誰もわかってくれないような気持ちになってしまってた。

人は、特に女性はかな、共感を求めるから、状況が似ていたり同じような人に救いを求めるし安堵を求める。
正直きっと私も、今までもこれからも、そう。
人に対してそうだし、私自身もそう思われている、そしてそれはなかなか避けられないことだと思う。
そんな出来事が最近あって、余計にそう思うんだけど。

でもだから、人に傷つき、人に癒されるんだよね。

そうして、それを乗り越えた時、人の痛みをわかる、前の自分よりも優しい人になれているはず。

以上、人生が苦しく悲しく、もがき苦しんだ私が、
私の周りにいる人(過去に居てくれた人)、休職する機会、カウンセリングを通じて心の交通整理をして、癒され始めたという話でした。

これからも、思いっきり心を休めて心と体のメンテナンスを続ける。
そしてまた、動き出そうと思ったタイミングで動く。
メンテナンスが十分にできたらきっと、私という車は快調に動き出すはずだ。

※写真は、「やりたい!」と思いたって初めてのオートキャンプ場でのソロキャンand車中泊をした時の写真。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?